ワールドカップ・ウオッチング

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サッカー大国ブラジルとアルゼンチンに挟まれた
小さな南米国家 パラグアイ(人口 635万人)

このところ雨が降り続くと、ついテレビでワールドカップを見てしまいます。
ドイツ対アルゼンチン戦で、イングランドランバードが同点ゴールを決めた!
と思ったら審判の判定はノーゴールで、その後ドイツのディフェンスは安定し、
ドイツの追加点まで許して、結果は4対1でドイツの勝利に終わる。

こんな誤審で勝敗が決まることも珍しいのかと思ったら、すぐ次の試合では、
アルゼンチンがオフサイドしているのに、メッシのゴールが認められてしまい、
明らかに動揺したメキシコ守備陣のボールをカットして、追加点まで取ってしまう。
判定もまたゲームの要因の一つであることを、痛感させられました。

敗者となった両監督は、さぞ怒っているかと思えば、案外サバサバとして、
これも全部サッカーなんだ!とコメントしていたようでしたが・・・・
マラドーナ監督の「メッシに対するファールを取らない審判も同じことだ」
との発言は、彼のチームが勝ったから言えたんだ!とばかりも言えません。
審判の判定を「正しい」だの「正しくない」だの言い始めたら、切りがないです。

スポーツの世界は、「たかがゲーム」なのですが、人間世界をよく現していて、
(1)ルールに従ってプレイする。と同時に、(2)判定には従う。が肝心です。
当然ですが、このルールは誰が決めるのか? 判定は誰がするのか? は大切で、
サッカーなら FIFA が決めればいいことですが、政治はそう単純ではありません。
この60年ほどのあいだは、アメリカが主導権を握ってきたと言えるのは、
アメリカが示した豊かさのモデルで、世界が目標を定めてきたからです。

しかし新しい世紀を迎えるに当たって、アメリカ型の豊かさを求め続ければ、
地球環境を維持することは困難で、世界は重大な危機に瀕していることが判明。
さらにこのアメリカ型の資本主義によって、新しい支配者層が確定し、
強力な破壊者が世界を支配する構図が、次第に明らかになってきたのです。
そこで様々な国では、脱アメリカ型資本主義が唱えられて、社会運動が起こり、
北欧では福祉政策が、南欧ではスローライフが、南米では脱資本主義が始まります。

スポーツのすべてが、サッカー・ルールで判定できないのと同じように、
アメリカ型の資本主義だけが、社会システムの姿だというわけではないのです。
もっとしたたかに、もっと柔軟に、これからの日本があるべき姿を考えて、
そちらの方向へ向けて、舵を切ることが求められている時代なのです。
今度の参議院選挙では、そうした視点がまったくないのを残念に思います。

今回のワールドカップで、南米代表の5カ国が全部予選を勝ち抜いたのは、
必ずしも偶然ではなく、南米に活気が満ちてきている証なのだとしたら、
今僕らが、これらの国々に関心を寄せておくことは貴重な体験かも知れません。
チリ、ブラジル、アルゼンチンと合わせて、パラグアイウルグアイなど、
僕らになじみの薄い国々で活躍する日本人の姿などは、アメリカ型ではなく、
新しい未来モデルに対して、日本人の適応力の高さを示してくれるでしょう!