沖縄戦の記憶
沖縄戦を記録した新たなフィルムが見つかったと、
NHKのETVで、その内容を追跡する番組がありました。
そこには、阿嘉島に配備されていた特攻兵器マルレの映像や、
一度アメリカ軍の捕虜になって、すぐに解放されたために、
アメリカのスパイとして、日本兵に殺された人も登場します。
この日本兵に殺された老夫婦のことを、島の人たちは覚えていて、
戦後長く、日本兵に対するわだかまりが続いていたとのこと。
NHKのETVで、その内容を追跡する番組がありました。
そこには、阿嘉島に配備されていた特攻兵器マルレの映像や、
一度アメリカ軍の捕虜になって、すぐに解放されたために、
アメリカのスパイとして、日本兵に殺された人も登場します。
この日本兵に殺された老夫婦のことを、島の人たちは覚えていて、
戦後長く、日本兵に対するわだかまりが続いていたとのこと。
実は先日の東京平和映画祭で、戦争体験を語られた近藤さんは、
沖縄で日本兵が住民にひどいことをした点は、ご存じなく、
むしろ沖縄では、戦争に巻き込まれた住民の悲惨さを語られる。
ただし同時に、沖縄戦が被害者としての日本人を生んだとすれば、
中国侵攻の戦闘では、日本兵はさらにひどいことをやった、
その両面を持つ戦争を、なんとしても阻止したいのが彼の願いで、
そのために、今は戦争の悲惨さを訴える講演を続けておられる。
近藤さんはすでに90歳を越えられて、老齢のために、
映画祭でのお話も、難しいかも知れないとの配慮があって、
万が一のことを考えて、事前にインタビューを撮りに行きました。
僕は同行していませんが、内容を編集するスタッフのお手伝いで、
約3時間に略編集された録画を、一通り見せていただきました。
その中には、沖縄戦で火炎放射器に焼かれる恐怖と合わせて、
中国で妊婦のお腹を切り裂いた話など、悲惨なものがある。
それらの話を編集する中で、兵隊の志気を高めるために、
すでに死んでいる敵の体に、銃剣を突き刺す話が出てきますが、
それと同じように、アメリカ軍がすでに死んでいる日本兵に、
何度も拳銃で弾を撃ち込むシーンがあったのが、印象的でした。
これはもう、日本人が、中国人が、アメリカ人がの問題ではなく、
どんな人間も、一度兵士として戦場へ行けば正気でなくなることを、
如実に物語っていると言わざるを得ないことの証明でしょう。
沖縄戦の司令官だった牛島中将が、最後に言い残したとされる、
「戦後は沖縄の人々に特別のご高配を」の言葉は、今は虚しいですが、
今回公開されたフィルムでは、アメリカ軍のプロパガンダに利用された、
捕虜となった日本人将校の、結婚式の様子も残されていました。
その将校、木村中尉が捕虜になったあと、1200人いた中隊兵は、
皆最前線へ送り込まれて、最終的には40人しか生き残らず、
彼は戦後になっても、終生戦友に会うことはなかったといいます。
数少ない生き残った部下たちが、その人柄を慕う木村中尉が、
なぜアメリカ軍のプロパガンダである、結婚式を引き受けたのか?
その理由が、アメリカの公文書資料から見えてきました。
「戦場に取り残された住民の犠牲を最小限にして欲しい!」
そう言って彼は、看護動員されていた17歳の女性と結婚式を挙げます。
式を挙げた以上、彼は生涯彼女を妻として暮らしたのですが、
終生一度も彼女の故郷へ顔を出すことなく、亡くなっています。
戦争中毒と揶揄されながら、世界中に戦争の種を蒔いて、
今年もまんまと沖縄に居座り、韓国軍の指揮権を維持した。
この最後の最強軍隊と、どう闘っていけるのかは、軍事力ではない、
「世界はどうあればいいか」の哲学思想の戦いが始まっており、
その最前線が、北欧や南欧、中南米等に見られる新しい政治思想です。
「資本主義が滅びないことには地球が滅んでしまう!」との声で、
経済成長しない新しい幸せのモデル探しが、始まっているのです。
写真は、東京平和映画祭で戦争体験を語る近藤一さん。