アリとキリギリスと・・・

イメージ 1

有名なイソップ童話(もちろん僕じゃない!)の一つ、
「アリとキリギリス」の話をご存じの人は多いでしょう。
夏の間ずっと働いて食料を蓄えていたアリに対して、
歌を歌って遊び、働かずに楽しんでいたキリギリスは、
冬になるとたべものがなくなって、死んでしまうのです。

そのまま死んだのではかわいそうだからと、散々説教されて、
何とか食べ物を分けてもらう話になっているものもあれば、
花から花へ渡り歩いたミツバチも交えて、もう少し上手に、
働くばかりでなく、遊ぶばかりでもない人生を勧めるのもある。
どちらにしても、働いて富を蓄える大切さを教える教訓です。

と思っていたら、この話はブラジルで大きく変わったようです。
冬が来て食べ物がなくなり、惨めに倒れそうなキリギリスが、
アリの家に来て、食べ物を分けて欲しいと求めるのは同じです。
するとアリは、
「私が一生懸命働いていたとき、あなたは歌を歌って遊んでいた!
 あなたは今、その報いを受けているのではないの?」
と説教しようとする。

ところがここから違って、キリギリスは、
「人生の美しさや、友情とすべての虫との連帯の美しさを歌って、
 子どもたちを幸せにして、恋する若者たちの心を燃え立たせたよ」
と答えるのです。
それを聞いたアリは、ハッとしてキリギリスへの非礼をわびます。
アリが自分のことばかりに一生懸命になっていた間、
キリギリスは、みんなの喜びのために歌っていたのです。

なるほど、一年に一度のカーニバルに全財産を注ぎ込むブラジル人は、
たしかにこんな風に考えても、おかしくはないような気がします。
だけどよく考えてみれば、古くから日本人の気質にだって、
「宵越しの金は残さない」のが“気っ風の良さ”と持て囃され、
後生大事に私財を溜め込むことを、厭う文化があったのです。
近年の日本では、経済規模が膨大に拡大した一方で、
明日を案じないでいい“人の繋がり”としての豊かさが消えた!

僕はこのブログでも散々に、経済拡大の人間的貧しさを説き、
そうでない人の絆としての豊かさを、模索してきているのですが、
文化の違う世界に目を向ければ、まだこうした豊かさはあるのです。
かつては世界を席巻していながら、覇権から退いたラテン文化は、
支配することよりも大切な、絆の豊かさに目覚めてしまったのでしょう。

死の床において、
「もっと仕事に時間を使えばよかった」と思う人は滅多にいませんが、
それでは何に時間を使えば良かったのか、わからない人は多いのです。
限られた人生をどう生きるのか?
アリとキリギリスのお話は、きわめて哲学的でもあったのです。


(※ブラジルの話は、三砂ちづるさんのお話を引用しました)