世界を滅ぼす「大量消費社会」の正体!

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今社会の大きな特徴である貧富の格差など、おカネの問題は、
有利子マネーに最初から仕込まれていた、根元的な問題なので、
これをおカネで解決しようとしても、決して解決しないどころか、
残念ながら、さらに問題を深刻にするだけに終わるでしょう。
なぜなら、膨大な借金による景気浮揚マネーも有利子マネーで、
労働する者ではなく、利権を持つ物が富を得る仕組みだからであり。
しかも大量に流されたおカネは、どこかで必ず自然界を破壊するので、
あらゆる命にベーシックインカムをもたらす自然を失うからです。

こうした問題を検討している人たちは、けっこういるので、
その一部は、ロスチャイルド問題の研究や、ゲゼル理論研究として、
様々な出版物も出していますが、マスコミは決して紹介しません。
なぜならマスコミ各社は、有利子マネーの恩恵を受ける利権者なので、
自らの利権を否定するような理論など、真実であっても隠すからです。
それではゲゼルが提唱した「貨幣のあるべき姿」とはどんなものか?

ゲゼルは、
「借り入れるとプラスの利子がつく貨幣システムを問題視し、
 スタンプ貨幣 (消滅貨幣) を提唱して、商品と同じように、
 貨幣も時間の経過とともに傷んでいくものにしなければならない」
と考えたのです。

これは決して不可能なことでなければ、難しいことでさえない。
例えば政府が無利子通貨を発行し、税として回収すれば出来ることであり、
福沢諭吉らが考えていた政府の財政は、そうしたものだったと聞きます。
しかしながら今、自らの利権を手放したくない経済学者や評論家によって、
ゲゼル理論は無視されながら、それでも時々密かに研究されている。
なぜなら、現代のおカネの問題は、金融マネーでは解決できないからです。
市場にいくら大量のマネーを投入しても、膨大な借金がある限り、
その借金に支払う利子によって、相対的に貧富の差は拡大するしかない。
こんな簡単な話が、マスコミの景気浮揚扇動で掻き消されているのです。

そしてもう一つの神話が、消費を増やして経済を拡大すればいい!
と信じて、経済拡大、生産拡大、消費拡大を目指す盲目的な信仰でしょう。
この生産拡大が、地球上でどれほど環境破壊をしてきたかを考えれば、
もう現実的な選択肢ではなくなっていることに、気付く必要があるでしょう。
むしろ人は、少ない生産で多く幸せになる方法を考えれば良かったのです。
その現実を、わかりやすくまとめた映像“The Story of Stuff”が、
数年前から世界中で配信されており、今では日本語版も出来ていることを、
東京平和映画祭をプロデュースされている、きくちゆみさんに教わりました。
それをぜひ多くの皆さんに見ていただきたいので、紹介しておきます。

“The Story of Stuff”
http://indiesatellite.jp/?p=46

さて、これだけの問題に気付いてしまうと、当然考えなければならないのが、
今までの価値観が、マスコミ、政府、教育によって捏造されたものであり、
もはやそれを信じるわけにはいかないと言う、抜き差しならない事実です。
まるで終戦後の日本で、今まで鬼畜米英だったものが突然最善のものになった、
それと正反対のことが、現代の社会にも起きようとしているのです。
この価値観の大転換を、どう受け入れ、これから何を目指して暮らすのか?
僕が時々参加させていただいている“公共哲学”の集まりでは、
政権交代による“友愛政治”を新しい公共に結びつけようと学習しています。

こうして世界が大きく変化する中で、僕ら個々人はどうすればいいのか?
地方自治においても市民参加の“協働”が必要とされ、田舎も例外ではなく、
僕らはそれぞれ、多様な選択肢の中から、自分の在り方を自覚するしかない。
そんな時代になったのであり、だれかお偉い先生の言うことを聞いていれば、
それでどうにかなった時代は、もう終わることを自覚するしかないのです。
しかし、だからと言って、実は生きることが難しくなるわけではなく、
むしろ逆に、それぞれの人が、自由に自立して自分を生きる時代になる。
自分がどう生きるかを、自分の選択で実現する時代になると言うことです。

もはや大金を稼いで巨大なビルを建てるなど、未来に対する犯罪行為であり、
個々人は永続的な社会を目指して、なるべく小さな範囲で自給自立する。
これが新しい時代の価値観になるしかない!と肝に銘じておくことです。
多くの人が、グローバル経済拡大から脱した新しい価値観を模索したとき、
僕はそれを、問題を起こさない生き方としての自然農に託しました。
まだ自給自立できているわけではないとしても、方向は定まったのです。
なるべく小さな地域において、食とエネルギーを自給する持続型生活は、
破滅的なグローバル社会と違って、自らの五体と五感で生きる暮らし!
努力は必ず報われて、人が人として認められる暮らしになるのです!