源氏物語「初音」朗読会

イメージ 1

源氏物語の朗読会で、月一定例会の他に、
四季折々の鑑賞会を兼ねた集まりがあります。
今年最初の集まりは、「初音」朗読と、
源氏にちなんだ初春交歓会でした。

今回会場とされた、先生のお宅に伺うと、
古い農家を改築した家の客間で、テーブル上に、
なにやら色を重ねた和紙が、並んでいました。
それは「初音」に出てくる女性の、重ね着の色で、
紫の上、明石の姫、花散る里、・・・・と、
登場する順番に、並べられていたのです。

CDによる琴音の演奏が流れ、香が焚かれ、
鍋を乗せたストーブの火は、赤々と暖かくて、
集まった6人は、くつろいだ雰囲気でした。
一人ずつ順番に、自分の持ち部分を読み上げて、
朗読会の成果をまとめる日でもあります。

一通り読み終わると、先生の講評があって、
お手持ちの資料などを見せていただき、
和気藹々と、源氏の談笑になっていきます。
源氏物語を、ちゃんと学ばれたのは先生だけで、
僕らは素人なので、難しいことはわからない。
それでも先生は、源氏物語がお好きなのでしょう。
わからない僕らを相手に、資料を見せてくださる。

写真の手前に写っているのも、珍しいもので、
向かって左は、桐の箱に収まっていた百人一首
右は初めてみる「源氏歌かるた」と言うものでした。
これでかるた遊びなどやってみたいところですが、
恥ずかしいかな、お札の筆文字が読めません。
遊ぶにも、教養というものが必要なようでして。

さて「初音」の頃は、源氏が全盛期に向かい、
自分のお屋敷内に、春夏秋冬の寝殿を建てて、
葵の上はもちろん、明石の君や玉鬘を住まわせる。
その中に、美人とは言えない花散里が居ますが、
源氏はこの花散里が、とても気に入っており、
「わが御心の長さも、人の御心のおもむきをも、
 嬉しく、思うようなり」と言っています。

葵と明石と、美しさを競う美人に比べて、
花散里は、どうして源氏の心を捉えたのか?
実はこの源氏物語の最後となる「浮舟」に、
あるいは紫式部が好んだ長谷寺にヒントがある。
浮舟は薫と匂宮の二人から愛されながら、
入水自殺をしようとさえして、僧都に助けられ、
やがて出家する、過酷な運命を辿りますが、
このとき浮舟は、魂の自立と再生を覚えるのです。

表面的な美しさや繁栄栄華を称えていながら、
源氏物語の奥にあるのは、常に魂の有り様です。
生霊や死霊が闊歩する世界で、罪を犯しながら、
その様々な姿を、あはれと思う源氏は、
心を自由自在に、あるがままに生きていたい。
花散里は、それを具現化してくれる人なのです。

長谷寺が出来る前から、聖地であった初瀬の地で、
紫式部は、人間の魂の物語を考えたのでしょう。
だからこそ、三世代の物語をこれほどまでに、
書ききることもできたのだろう、と思うのです。