“生活”のすすめ!

イメージ 1

最近世間では、“就活”や“婚活”の話題が盛んです。
学校は最終的に、学生に就活させて役目を終えようとするし、
無事に就職すれば、次は結婚して家庭を持つことを勧められる。
子どもは、進学校→ 有名大学→ 大企業→ 高収入を求められ、
大人になれば、結婚→ 出産→ 育児→ 介護を求められる。

このサイクルが順調であれば、みんなウハウハなのでしょうが、
現代では就職が困難で、さらに結婚しない人が増えているから、
いきおい社会の話題は、就活や婚活がにぎやかになってくる。
だけどこれでは、何か大切なことを蔑ろにしている気がします。
就職や結婚以前に、どう生きるかを考える必要はないのか?

なんだそんなこと、当たり前だから誰もわざわざ言わない!
と思っている人は「おめでたい人」だと言うべきかも知れません。
人間が生きるには、必ずしも進学しなくても、就職しなくても、
結婚さえしなくても、様々な生き方があるとわかってきた。
いや、忘れていた多様な生き方を、あらためて思い出している。
ところが現実の社会システムは、おカネ中心になっているから、
様々な生き方が、非常に困難になってきたのが現代社会なのです。

たとえば自然農を目指したい若い人たちが、実際に挑戦すると、
まずこの「おカネの問題」に突き当たって、挫折してしまう。
本当は自然に生きたいのに、やむなく就活をしてしまうのです。
しかし、持って生まれた自分の命を、精一杯活かしたければ、
就活や婚活以上に、“生活”があってしかるべきではないのか?
自分はどう生きるのかを決める活動抜きに、就活や婚活をして、
それで満足のいく人生を送れる人は、限られた従順な人でしょう。

こんな選択肢を失った就活・婚活社会は、健康な社会なのか?
自然界で、生物多様性が失われることが危惧されるのと同じで、
人間社会でも、生き方の多様性を失うことは間違っているのでは?
あらゆるものをマネー換算して、拡大し続ける経済がもたらすのは、
必ずしもバラ色の社会ではなく、凄まじい弊害があったのです。
その方向性を転換して、新しい社会の価値観を育成して行くには、
人々が多様な価値観で生きられる社会を、守る必要があるでしょう。

その大切な基本となるのが、いかに生きたいかを考えることで、
既存の価値観を超えて生きようとする若い人たちを、挫くのでなく、
手を貸し、共に考えて、可能なシステムを構築していく必要がある。
これが僕の考える、いかに生きるかを模索する“生活”なのです。
ただ漫然と生きるのではなく、自分を活かして生きたいのです!

人生をおカネにばかり振り回されたくない!と思う人が増え、
そうでない生き方を模索する若い人が、確実に増えているのに、
社会システムがそれに対応できないのは、いかにもお粗末でしょう。
現代が百年前より少しは豊かなのなら、次に目指すべきことは、
多様な生き方を助け合う、社会システムの変革なのだと思います。