2番ではいけないのか?

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2009年、今年の流行語大賞は「政権交代」で、
世相をあらわ漢字は「変」が選ばれているようですね。
僕は実は、来年以降、これからの社会を考える上で、
蓮舫さんが事業仕分けで発言された言葉を思い出します。

「なぜ1番なのか? 2番ではいけないのか?」

たぶんマスコミの人たちも「ん?」と思ったから、
この場面が繰り返しテレビにも映し出されたのでしょう。
その後、したり顔の多くの事情通と言われる人たちが、
「1番を狙っても簡単になるものじゃない」とか、
「せっかく積み上げた研究が役に立たなくなる」とか、
様々な反論はあったけど、やっぱり僕も考えました。

「1番になるより、2番以降を不利益にしない!」ことの方が、
政治的課題としては、大切なんじゃないかと思ったのです。

もともと科学技術というのは、自然界の理解から始まり、
それを実証可能な形で、誰にでも出来るようにしたものです。
つまり最先端の先は、いつだって自然界そのものでしかなく、
人間界として見た場合に、1番と2番の差が問題になるだけです。
であれば、膨大なエネルギーを使う1番狙いは政治課題でなく、
登場してしまう1番に対して、社会的不公正を生まないように、
常に2番3番のレベルアップをしておくことの方が、大切だろう。
これこそ大きな予算を使っても、押さえるべきだと思うのです。

鳩山首相の友愛政治は、そのような線上にあるべきですが、
残念ながら政権内において、旧態然とした価値観が蔓延っている。
景気浮揚で経済活動が活発になれば、それで全て解決するなんて、
まるで30年前の経済評論家みたいな考えの閣僚が、力を持っていて、
自民党政権時と変わらないような、景気浮揚策を示している。
それを、経済拡大したいマスコミも後押ししているから、
多くの国民は、政権交代の意味がわからなくなってきている。
鳩山さんの友愛政治は、いったいどこへ行ってしまったのか?

1番を目指す拡大競争社会から、友愛を目指す循環共生社会へ!
すでにこうした流れは、多くの意識ある市民に待ち望まれたもので、
いくつかの大学や市民活動では、真剣な取り組みが始まっている。
だけど自民であれ民主であれ、古い価値観の政治家はそれがわからず、
拝金体質のマスコミは、けっして意に添わないニュースは流さない。

それでは、新しい循環共生型の社会は絵に描いた餅か?と言えば、
実社会において、先んじて挑戦している人が多いのも事実です。
たとえば様々なボランティア活動や、地方政治が目指す協働などは、
誰かを差し置いて1番を目指すのではなく、みんなの利益を目指す。
あるいは僕が学んでいる「自然農」の基本理念に至っては、
社会を考える故の「問題を起こさない生き方としての自然農」です。
こうした試みは、すでに1番など求めてはいないと言えますし、
1番を求める弊害を知って、そこから脱却する道を探っているのです。

友愛政治を提唱した鳩山さんは、個人献金指導力不足を指摘され、
首相としての能力がないかのように、言われているようですが、
僕は彼を、歴代の総理大臣の中でも優れた政治思想家だと思うのです。
理想を明言して、理想に向かって可能な限りの努力をする!
今はまだ、周囲の人たちが必ずしも理解していないようですが、
やがて権力に阿ない、自給自立して暮らす人が増えてくれば、
彼が言った友愛政治の可能性は広がってくるでしょう。

道程は遠くても、道標が立ったのです。