経済拡大による“破滅”

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先日イサベラ・ロヴィーンの「沈黙の海」を読んで、感想文を書いたときに、
EUでは経済優先のために、食用魚が壊滅しそうになっていることを知りました。
その後まもなく、環境問題を協議したCOP15では、中国が開発途上国を束ね、
これから経済成長をする国に、CO2排出義務を負わせないことで話を纏めました。
どちらも経済拡大が優先して、生命循環の危機を回避する策を取れないのです。
このままでは、事態が手遅れになる前に、有効な対策を取ることは困難でしょう。

なぜこのような事態が進行し、防ぐことが出来ないかは明らかです。
環境保護だ資源保護だといくら言っても、経済拡大優先の信仰があるので、
誰が見ても壊滅的に手遅れにならない限り、この破滅は止められません。
ためしに自分たちの周囲で、環境保護のために経済活動を止められるかどうか?
それがいかに困難かを知れば、国レベルの交渉がまとまるとは思われない。
世界中の指導者が「経済拡大の弊害」を認めなければ、世界は確実に滅びます。

こうした事態に最初に気づいたのは、石垣島での海の変化からでした。
20代の初め、毎年春~夏を石垣島で過ごし、秋~冬には東京へ戻って稼ぐ。
最初の何年かは、北部の平野へ行く道は舗装さえされていない悪路だったので、
平野集落は、細々と自給自足的な半農半漁で大勢の家族が暮らせていた。
ところが、立派な舗装道路ができて便利になると、人々は部落を出て暮らし、
時々やってきては、売れるものを持って行くだけの関わりになってしまう。

換金できる魚や貝を根こそぎ取って、売り払うだけの経済拡大が蔓延する。
貝や魚が目に見えて少なくなるのと時期を同じくして、環境問題が騒がれ出し、
白保の飛行場問題が浮上して、環境問題だけは解決への取り組みが始まった。
だけど海の食用魚や食用貝は激減が止まらず、やがて90年代後半になると、
あれだけ生き物に満ちていた海が、めったに生き物のいない塩水空間になる。
かつては数時間で大量に取れたサザエさえ、探しても見あたらなくなったのです。

当時は環境破壊が原因だと思っていたのですが、どうもそれだけとは思われない。
むしろ人間の生活形態が変わったことで、自然界の循環を破壊しつつあった。
つまり漁業資源は、交通網整備や漁法の効率化で根こそぎ獲られるようになり、
売って儲けることが生活スタイルとなって、自然循環が失われていったのです。
環境汚染は止めることができても、果てしない経済拡大のチカラは止められない。
かくして石垣島の海には、自前で取れる魚や貝が激減してしまったのです。

まるで「沈黙の海」のミニチュア版が起きていたのに、よくわからなかった。
だけど今ならわかるのです。経済優先のために、いかに自然環境が破壊されて、
これと同じことが、間違いなく世界中で起きているに違いないだろうと。
急速に便利になった交通網や通信網で、今や世界中がターゲットになっており、
拡大経済で有り余った資金が、あらゆる鉱物資源、食用資源に手を伸ばしている。
その結果がどうなるか、すでに多くの実例が示しているとおりでしょう。

もしも人間に、反省する心の余裕と新しい価値観へ転換する勇気があるなら、
この先数年が最後のチャンスになるかも知れないことを、思い知るべきなのです。
遅れて“拡大経済の鎧”と”平等の免罪符”を持った中国や途上国に対して、
彼らが納得できる「新しい価値観」を共有しない限り、経済はさらに拡大を続け、
やがて世界中を破滅に追い込むまで、止められないことになってしまうのです。
破滅的に終わるか、建設的に終わるか、どちらにしても拡大経済は終わります。



写真は、右が75年頃のサザエの収穫で、左が90年頃の収穫です。
どちらもヨットでリーフ上に出掛け、二人で1時間ほど泳ぎながら獲ったもの。
今では、今年も挑戦してみましたが、半日泳いでも2~3個しか見あたりませんでした。