親鸞上人の命日

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毎年11月28日は、浄土真宗にとって特別な日のようです。
それは教祖と言える親鸞が亡くなった日で、毎年この日に向けて、
報恩講と呼ばれる行事が、6日間~8日間行われていることからも、
いかにこの日を大切にしているかが、窺えるというものでしょう。
東本願寺以下、日本中で、真宗のお寺は報恩講の季節です。

僕が住む砺波平野では、この報恩講用の「いとこ煮」って料理もあって、
ダイコン、ニンジン、サトイモ、ゴボウなど、今の時期の根菜類に、
コンニャク、油揚げなどを入れ、そこに必ず茹で小豆が入る精進料理です。
一昔前の砺波平野一体では、浄土真宗の教えが染みついていたので、
生き物を大切にする気風や、人間関係を大切にする教えが強くありました。
近年は日本中の流れに漏れず、おカネの欲得が支配する社会になりましたが、
今でも高齢者にとって、お寺さんは何よりも大切な心の拠り所です。

井波では古くから7月に、太子伝会という催しが盛大に行われて、
そのとき瑞泉寺太子堂では、聖徳太子の小さな像が一週間公開され、
太子の伝説を中心に、様々な法話を聞いたものですが、今はどうでしょう。
僕が井波を離れていた時期に、お寺の権力争いのような騒動があって、
それ以来、瑞泉寺は入場料が必要な観光地になってしまったので、
太子伝会はすっかり寂れたと聞きますし、僕も行かなくなりました。

それでも、お寺が教えを忘れたとしても、親鸞の教えに共感する人は多く、
姿形を変えても、これからも親鸞の教えが伝わっていくことは確かでしょう。
かく言う僕も、普段の生活で信仰や宗教を意識することはなくっても、
聞かれたら、親鸞の教えに共感していることを隠すつもりはありません。
子どもの頃に聖徳太子親鸞の教えを聞けたことは、大きな財産と言えます。

古い歴史ある地域が集まった南砺市では、人間も歴史ある人が多いので、
どこへ行っても、かならず公共の掲示板には「報恩講」の案内があります。
僕らよりも若い年齢では、まず滅多に、そんな場所へ行く人はいませんが、
実は都会の学生あたりが、近年宗教を求めているのも事実のようです。
田舎では絶対師である自然が豊かなのに、都会ではまがい物しかないので、
真実を求める若者が宗教に走るのは、やむを得ないのかも知れません。
そんな“求める”若者たちに、社会は応えられているのでしょうか?