片付かない時代

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八ツ場ダムの建設中止を巡って、ドタバタが続いています。
そもそも1952年に計画が発表されて、すでに57年のあいだ、
こんなダムが無くても問題がなかったのだから、必要はないのです。
影響を受ける関東圏の世論調査でも、半数近い人が必要ないと言うし、
地元住民の多くも、元々ダムなんか作って欲しくなかったのです。
問題は、それを強引に作ろうとした自民党政権の暴挙と言えますが、
すでに膨大な大金を掛けたから、最後まで作れ!と言うのもどうだか?

動き始めた巨大公共事業は、必要が無くても最後まで作れ!だなんて、
おカネが有り余っていた時代ならともかく、とんでもない話です。
そんなおカネは、公約通り、コンクリートよりも人に投資すればいいし、
最初から作るべきでなかったものは、おカネを使っても止めて欲しい。
実際に八ツ場ダムの場合は、あまりにも巨大な公共事業なので、
周囲の自然環境を破壊する危険は、素人が考えたって明らかでしょう。
いつまでも自民党政権を続けさせた、ツケを支払わされているのです。

その他の来年度予算を見ていても、旧来からの使い道が全部必要では、
新しい政策など、何も出来なくなってしまうかも知れません。
「無駄」を削ろうと言えば、何でも無駄ではないと言われるでしょうが、
限られた予算で新しいことをやろうとすれば、何かは削るしかない。
いわゆる優先順位として、必要でも削るものだって出てくるでしょう。
原発放射性廃棄物と同じように、棄てられないゴミのようなものだから、
すでに投資した金額が無駄になっても、少しでも早くやめるしかない。
そうしないと、将来にとんでもない負荷を押しつけることになるのです。

こうした棄てられない事態は、個人の家の中にも起きているようで、
最近簡単には棄てられないゴミや不要品が、家の中に増え続けています。
なるべく余所から新しいものを持ち込まない、循環型生活を心がけて、
少なくとも生ゴミ系のゴミは、ほとんど出さないように暮らしています。
だけど何か買い物をれば、ビニールやら段ボールやらゴミが付いてきて、
資源ゴミに出すために、家の中に貯めているうちにドンドン増える。
これは僕だけかと思ったら、友人知人にも、片付かない人が増えている。

何か新しいことを始めようとするたびに、邪魔になるものが増える。
この片付かなさをどうにかしないと、自暴自棄にさえなってしまいそうで、
まさか政治の世界で、そんな自暴自棄は起きないでしょうが、心配です。
いらないものを、理由を付けてそのままにしておかないで、早く棄てる。
そうしないと、いつまで経っても新しいことを始められないのです。
今は、僕の部屋が片付かないのも、公共事業が片付かないのも、
無用なものによって経済を拡大してきた、時代のツケなのでしょう。

・・・なんて事を言っている間に、
早く部屋の片付けをすればいいんだけどね!
それが進まない、時代性を感じるのです。