ヤノマミと現代文明

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昨日の午後、外出先から帰って軽い食事をしたときに、
NHKスペシャルの再放送で、興味深い番組をやっていました。
「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」というもので、
奥アマゾンの最深部に1万年以上、独自の文化・風習を守り続ける、
ヤノマミ族に、150日間同居取材して編集されたものです。

番組では、子を産んだ女が自ら、その子をシロアリの巣と共に燃やし、
人間とはしないで、精霊として天に返すシーンが印象的です。
一夫一婦制を基本とした家族制度はあるのですが、結婚していなくても、
女は子を身ごもれば産み落とし、その子を育てるか天に返すかは、
誰に指図されることなく、自分で決めて、それをみんなで尊重する。

そうかと思えば、彼らは石器時代に等しいともされる文化なのに、
注意して見ていると、斧やナイフなどの近代道具を持っていたりする。
しかも、一時期、心ない学者や探検家によって疫病が持ち込まれ、
あるいは薬物の人体実験や、希少資源を奪うために殺されたりしたため、
政府による保護と、僻地医療が普及し始めているとのこと。
どうやら今のヤノマミは、すでに現代文明に取り込まれている。

文化人類学や疫学上の研究でも、様々な論が展開されたようで、
中には研究のために、予防接種による人体実験や、部族間抗争を煽り、
その結果としての大量殺人など、スキャンダルもあったようです。
しかし、そうした確かめようのないことを抜きにしても、
文明の利器を使いながら原始的な生活をする、彼らの風習から、
振り返って現代を見ると、気づくことも多々ありそうです。

たとえばシャーマンを中心とした、多くの集落の規模にしても、
大きくなりすぎないように、100人前後を適当な人数としている。
あるいは、集落に属すか属さないかに厳格なルールはないようで、
自分の娘が妊娠したことに怒って出ていった家族が、また戻ってくる。
そして集落にいる限り、皆平等に扱われて上下関係もなさそうで、
食べ物がなくなれば、全員で狩猟に行き、みんで成果を分かち合う。

問題は、彼らの文化・風習が、現代文明の洗礼を受けたときに、
それまでうまくバランスを取っていた、人口抑制が利かなくなり、
あるいは、便利な利器に対する欲求が、争い事を生んでしまうこと。
おおらかな感覚によって、男女性と命を継ぐ子育てを別に考え、
一夫一婦制であっても、子の運命は母親が決め、集落全員で育てる。
その命の循環さえ、医療によってバランスが崩れ始めている。

どうやら現代文明ってやつは、核開発がその典型であるように、
効率を求めすぎて、過剰な力を持て余しているように見受けられます。
必要だから作ってきたはずのものが、その域を超えて変容し、
自らの存在さえ危機に招く、グロテスクなものになってしまっている。
ヤノマミの存在は、この悲しい事実を僕らに突きつけてくるのです。

さて僕はあらためて、自分が何を望んでいるのかを考えます。
僕はすでに、社会が望んでいる消費経済の拡大を望んではいない。
かと言って、ヤノマミ族のような原始的な生活も望んではいない。
その両方を知った上で、新しいバランスの取れた生活を模索している。
しかしながら、これがなかなか理解されないようなのです。