注目される上関原発問題
現在日本には、ピーク時から二つ減って、
53基の原発が現役状態にあります。
減ったとは言っても、世界一の密度でしょう。
これをまた増やそうとする試みの一つが、
山口県に計画されている上関原発です。
この原発には、他の原発以上に問題があります。
それは、元々自然豊かな海を埋め立てて作るので、
実際にそこで暮らしている人たちの生活を脅かし、
さらには保安林まで伐採してしまうことで、
地域全体の自然環境が壊れてしまうことなのです。
日本全体をみても少なくなった、自然豊かな場所を、
どうして原発のために、破壊されなければならないのか?
そこで政府や電力会社は、将来の電力不足を言いますが、
ではなぜ、循環型エネルギーによる発電を進めなかったのか?
原発こそが必要だと言い続けたのは、どうしてなのか?
おかげで日本中に、使い捨ての被曝労働者が増え続け、
これから寿命を迎える原子炉の解体や、汚染物質の対応に、
今後半永続的に、膨大な管理費が費やされていくことになる。
しかも、国土の隅々にまで人が住んでいる日本では、
アメリカやロシアのように、簡単に廃棄できる場所もない。
こんな、今さえよければ将来の子供たちを苦しめる政策で、
日本中に広がってしまった原発の、典型的な象徴こそが、
六ヶ所村に建設された再処理工場だった!と言えるでしょう。
すでに膨大な税金を注ぎ込んで、建設された再処理工場ですが、
放射性廃棄物のガラス固化処理は、未だにうまくいかず、
うまくいく見通しがないままに、事故で工場は止まっています。
それでもこの再処理工場が、中止にならない最大の理由は、
各地の原発で出てくる使用済み核燃料が、行き場を失っていて、
この六ヶ所村へ運び込まないわけにはいかないからなのです。
要するに、出来もしない再処理を将来できることにして、
放射性廃棄物や使用済み核燃料の集積場になっているのです。
原発を稼働すればするほど、将来の負荷は増え続けるでしょう。
僕らが鎌仲さんの「六ヶ所村ラプソディー」によって、
この問題を知った時、再処理工場は放射性物質の集積場として、
すでに膨大な税金を食いながら、止めようのない巨大さでした。
こうした国家的巨大プロジェクトは、元々無用なものでも、
動き出してしまえば、そこに大勢の人が巻き込まれてしまい、
止めることがいかに難しくなるか、八ツ場ダムが示しています。
だからこそ、本格的に建設が始まる前に吟味する必要があり、
現地にすむ多くの人が反対するような事業は、やるべきでない。
沖縄の辺野古にみられる、ねばり強い基地建設反対運動も、
この上関原発に対する、祝島の住民を中心とした反対運動も、
決して他人事ではなく、みんなで考える必要のあることです。
昨日の9月10日、上関原発の予定地埋め立て工事に対して、
祝島の島民を中心とする、反対運動を進めている人たちは、
たくさんの漁船を並べて、クレーン台船の接岸を阻止しました。
中国電力が話し合いに応じない以上、これもやむを得ない、
生活を守るための、自衛の行動と言わざるを得ないと思います。
さらにこの予定地は、元々は地元の神社の境内に属する杜で、
以前からの宮司は、原発建設に反対していたことから、
宮司職を解かれ、新たに原発推進の宮司が着任して協力しました。
これに対して、神社本庁へ抗議に行った人たちもいましたが、
神社本庁は各地神社の上部組織ではなく、権限がないとのこと。
たしかに日本の神道においては、鎮守の森が示すように、
ありのままを大切にするので、何事も争ったりしないのです。
様々な宗教が、その教えのために他の教えと争ってきた中で、
古来日本の神社は、いかなるものとも争ったりしませんでした。
この伝統は、大切に守る続けていく必要がありそうです。
しかしながら、この穏やかさをいいことにして蹂躙する権力に、
僕らはただ黙ってみていればいいわけでもありません。
錦の御旗がどちらにあるのかといえば、古来からの生活者にある。
千代に八千代にと謳う歌の意味さえ、ここにあると言えるのです。
この大義こそが、市民活動の根元的な意味なのです。
写真は昨日、クレーン台船を接岸させないことに成功した漁船たち。
http://new-k.livedoor.biz/
「上関原発 最新情報」サイトから転載させていただきました。
53基の原発が現役状態にあります。
減ったとは言っても、世界一の密度でしょう。
これをまた増やそうとする試みの一つが、
山口県に計画されている上関原発です。
この原発には、他の原発以上に問題があります。
それは、元々自然豊かな海を埋め立てて作るので、
実際にそこで暮らしている人たちの生活を脅かし、
さらには保安林まで伐採してしまうことで、
地域全体の自然環境が壊れてしまうことなのです。
日本全体をみても少なくなった、自然豊かな場所を、
どうして原発のために、破壊されなければならないのか?
そこで政府や電力会社は、将来の電力不足を言いますが、
ではなぜ、循環型エネルギーによる発電を進めなかったのか?
原発こそが必要だと言い続けたのは、どうしてなのか?
おかげで日本中に、使い捨ての被曝労働者が増え続け、
これから寿命を迎える原子炉の解体や、汚染物質の対応に、
今後半永続的に、膨大な管理費が費やされていくことになる。
しかも、国土の隅々にまで人が住んでいる日本では、
アメリカやロシアのように、簡単に廃棄できる場所もない。
こんな、今さえよければ将来の子供たちを苦しめる政策で、
日本中に広がってしまった原発の、典型的な象徴こそが、
六ヶ所村に建設された再処理工場だった!と言えるでしょう。
すでに膨大な税金を注ぎ込んで、建設された再処理工場ですが、
放射性廃棄物のガラス固化処理は、未だにうまくいかず、
うまくいく見通しがないままに、事故で工場は止まっています。
それでもこの再処理工場が、中止にならない最大の理由は、
各地の原発で出てくる使用済み核燃料が、行き場を失っていて、
この六ヶ所村へ運び込まないわけにはいかないからなのです。
要するに、出来もしない再処理を将来できることにして、
放射性廃棄物や使用済み核燃料の集積場になっているのです。
原発を稼働すればするほど、将来の負荷は増え続けるでしょう。
僕らが鎌仲さんの「六ヶ所村ラプソディー」によって、
この問題を知った時、再処理工場は放射性物質の集積場として、
すでに膨大な税金を食いながら、止めようのない巨大さでした。
こうした国家的巨大プロジェクトは、元々無用なものでも、
動き出してしまえば、そこに大勢の人が巻き込まれてしまい、
止めることがいかに難しくなるか、八ツ場ダムが示しています。
だからこそ、本格的に建設が始まる前に吟味する必要があり、
現地にすむ多くの人が反対するような事業は、やるべきでない。
沖縄の辺野古にみられる、ねばり強い基地建設反対運動も、
この上関原発に対する、祝島の住民を中心とした反対運動も、
決して他人事ではなく、みんなで考える必要のあることです。
昨日の9月10日、上関原発の予定地埋め立て工事に対して、
祝島の島民を中心とする、反対運動を進めている人たちは、
たくさんの漁船を並べて、クレーン台船の接岸を阻止しました。
中国電力が話し合いに応じない以上、これもやむを得ない、
生活を守るための、自衛の行動と言わざるを得ないと思います。
さらにこの予定地は、元々は地元の神社の境内に属する杜で、
以前からの宮司は、原発建設に反対していたことから、
宮司職を解かれ、新たに原発推進の宮司が着任して協力しました。
これに対して、神社本庁へ抗議に行った人たちもいましたが、
神社本庁は各地神社の上部組織ではなく、権限がないとのこと。
たしかに日本の神道においては、鎮守の森が示すように、
ありのままを大切にするので、何事も争ったりしないのです。
様々な宗教が、その教えのために他の教えと争ってきた中で、
古来日本の神社は、いかなるものとも争ったりしませんでした。
この伝統は、大切に守る続けていく必要がありそうです。
しかしながら、この穏やかさをいいことにして蹂躙する権力に、
僕らはただ黙ってみていればいいわけでもありません。
錦の御旗がどちらにあるのかといえば、古来からの生活者にある。
千代に八千代にと謳う歌の意味さえ、ここにあると言えるのです。
この大義こそが、市民活動の根元的な意味なのです。
写真は昨日、クレーン台船を接岸させないことに成功した漁船たち。
http://new-k.livedoor.biz/
「上関原発 最新情報」サイトから転載させていただきました。