限界集落の攻防

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昨夜の「住民自治基本条例」を巡る活発な議論の中で、
以前から感じていたことを、一つ思い出しました。
田中市長の肝煎りで始まった、協働のまちづくりですが、
その具体的な方針を定める、基本条例作りに対して、
参加者の過半数を占める自治会系の人たちから、
はっきりと疑問の声が沸き起こりました。
それは、今頃どうしてそんなものが必要なのか?
古くから維持している公民館活動や、自治会を、
今さら条例で規定されても困る!との意見なのです。

ところが一方では、僕のようなUターン組や、
新しく富山へ来て住みたいと思っている人たちからは、
田舎暮らしのノウハウがわからなくて、戸惑う人が多い。
この典型的な話が、いわゆる限界集落の問題にあって、
古くから集落に住んでいる人たちが大切にしている、
その地域の伝統文化に、移住者の多くは感心が薄いのです。
たまに来て参加するだけなら、興味深いと思っても、
その伝統行事を、自らの生活で守ろうとする人は少ない。
いわば、同じ田舎暮らしでも、求めるものが違うのです。

すなわち、今までの集落の在り方を守ろうとすれば、
新しい人は参加ができなくて、やがて限界集落になる。
だけど牙城を明け渡して、新しい文化を受け容れるならば、
都市文化から逃れて、田舎暮らしをしたい人は大勢いる。
もちろん、何でも受け容れていいと言うものではないので、
どのような人を受け容れて、どのようなサポートをするのか?
そうした対応があれば、移住してきたい人はいるのです。
守るばかりでなく、攻める体制が必要だってことであって、
どのような新しい集落が可能かを、話しあう必要がある。

集落を守ることばかり考えていれば、今までの流れで、
若い人がいなくなった集落に、新たな人が来る可能性は低い。
だけどそのままでは、いずれ限界集落となって廃村となる!
そこまで考えて、今までのやり方を捨てる気になれば、
新たな人と文化を根ざさせる可能性は、一気に高まります。
そんなふうに考えたときに、基本条例は必要になるでしょう。
何でも受け容れるのではなく、現住民との関係を損なわず、
お互いのメリットになるような住民自治を、どう作るか?
みんなで考えるための、指針になるはずだからです。

ご存知の通り、僕は自然農での食の自給を目指していますが、
今は都会暮らしの人でも、生活さえ成り立てば田舎へ来て、
自然の中で人生を過ごしたいと思っている人は、結構います。
現に僕も、何組かの若い人を、氷見や八尾に案内した事がある。
だけど多くの場合、受け容れる側でのハードルがあって、
若い人が地域文化の継承をしてくれる!と思い込まれると、
引いてしまうことが多かったように、見受けられたのです。
この場合、移住希望者の方が圧倒的に弱い立場にいるのですから、
希望者の思いに寄り添って、サポートすることが大切でしょう。

そして、その地域に住むノウハウとサポートがあれば、
静かな田舎暮らしを求める若い人たちは、必ずやってきます。
この写真の夫婦が選んだのは、いわゆる福光の限界集落で、
幸い知り合いの伝手でこの家を見つけ、子育てをしています。
あるいは八尾の山間にある限界集落に移住した仲間もいて、
この若者たちが移住した先の共通点は、すでに限界集落のため、
余計な伝統文化に参加を強要されていないことがありそうです。
同じことは僕のような町中でも、日常的にあることで、
田舎と言えども、新しい文化の創造が必要だってことでしょう!


写真は「富山写真語 万華鏡・198号(百年の家)」から転載しました。