沖縄慰霊の日に思うこと
64年前の今日、沖縄戦が終わりました。
この市街戦が、どれだけ悲惨なものだったか、
知れば知るほど、戦争してはいけないとの思いが募る。
昨日もNHKでは、渡嘉敷島での集団自決が取り上げられ、
自ら肉親を殺してしまった人の、苦悩が伝えられました。
人を殺すことへの苦悩、殺してしまったことへの悔恨。
勝ち負けや数字だけを騒ぐ、マスコミや政治家と違って、
戦場に生き、殺され、あるいは殺してしまった人の懊悩は、
生涯彼らを苦しめ、心の安らぎを失ってしまう事件なのです。
この苦しみを二度とくり返してならないとの思いから、
日本国憲法では、戦争も軍隊も放棄しているのです。
それにもかかわらず、この国の政権政党には、
機会があれば駆け付け参戦する!と公言する人がいます。
その参議院議員は、今も軍事費を増やそうと主張して、
広報紙「自由民主」国防政策特集号が増刷されたと自慢します。
沖縄での集団自決に、軍の命令はあったとかなかったとか?
教育の世界でも、不都合はあやふやにされようとしています。
昔の自民党議員は、これほど厚顔無恥ではなく、
心の中で個人的にはどう思っていたかは知らないけど、
少なくとも公人としては、戦争してはいけないと明言していた。
それが最近の自民党は、国民を引きつける政策がない所為か、
解散も出来ずに迷走しながら、軍事的な愛国心まで煽っている。
こんな政党では、いつ暴走するか危なくて信頼できません。
毎年慰霊の日が過ぎると、梅雨明けをする沖縄ですが、
今年はまだ梅雨が明けずに、雨が降り続いているようですね。
渡嘉敷島で、64年間の苦悩を背負った金城さんの言葉は、
「戦争をしてはいけない」それだけだった気がします。
古今東西に、正しい戦争というものはないのです。
この市街戦が、どれだけ悲惨なものだったか、
知れば知るほど、戦争してはいけないとの思いが募る。
昨日もNHKでは、渡嘉敷島での集団自決が取り上げられ、
自ら肉親を殺してしまった人の、苦悩が伝えられました。
人を殺すことへの苦悩、殺してしまったことへの悔恨。
勝ち負けや数字だけを騒ぐ、マスコミや政治家と違って、
戦場に生き、殺され、あるいは殺してしまった人の懊悩は、
生涯彼らを苦しめ、心の安らぎを失ってしまう事件なのです。
この苦しみを二度とくり返してならないとの思いから、
日本国憲法では、戦争も軍隊も放棄しているのです。
それにもかかわらず、この国の政権政党には、
機会があれば駆け付け参戦する!と公言する人がいます。
その参議院議員は、今も軍事費を増やそうと主張して、
広報紙「自由民主」国防政策特集号が増刷されたと自慢します。
沖縄での集団自決に、軍の命令はあったとかなかったとか?
教育の世界でも、不都合はあやふやにされようとしています。
昔の自民党議員は、これほど厚顔無恥ではなく、
心の中で個人的にはどう思っていたかは知らないけど、
少なくとも公人としては、戦争してはいけないと明言していた。
それが最近の自民党は、国民を引きつける政策がない所為か、
解散も出来ずに迷走しながら、軍事的な愛国心まで煽っている。
こんな政党では、いつ暴走するか危なくて信頼できません。
毎年慰霊の日が過ぎると、梅雨明けをする沖縄ですが、
今年はまだ梅雨が明けずに、雨が降り続いているようですね。
渡嘉敷島で、64年間の苦悩を背負った金城さんの言葉は、
「戦争をしてはいけない」それだけだった気がします。
古今東西に、正しい戦争というものはないのです。