哀しみのチューリップ

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左上の箱に収まっている、ほのかに光を通す風情の花は、
去年、自然農園の近くで見つけて写真に撮ったものですが、
今年は、この花の姿を見かけませんでした。
気になっていたので、同じ場所に違う花を植えていた人に、
去年の花はきれいでしたが、今年は植えなかったのですか?
と聞いたら、今日のこの花がそれだと教えられました。

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実はチューリップフェアで買ってきた球根から咲いた花で、
その花の球根を今年も咲かせてみたら、同じ花にはならない。
どうやら一代交配で、子孫を残せない花なのだそうです。
今や農作物でも、こうした一代交配種(F-1)が増えましたが、
こんなものばかり食べていて、命は正常でいられるのか?
どこかで何かがおかしくなっている気がしてなりません。

それにしても、去年のチューリップは、妖しいまでに美しく、
思わず足を止めて、近づいて見ずにはいられなかったのです。
大都会にしかいない、人工的に作られた美しい女性のように、
この花は自然界には止まることが出来ない、ひとときの夢。
去年撮った写真を、もう一度よく見ていて気付いたのは、
仲間の花と寄り添うように咲いている、その可憐さでした。
すでに大人のはずなのに、弱々しい美しさが人を惹きつける。

僕らは自然農の田畑で、なるべく一代交配種を使わずに、
自然農で育てられた作物から、自家採種に取り組んでいます。
市販の一代交配種からは、安定した採種は難しいのですが、
昔から続いている品種のタネを使って、安定させていけば、
その先には、安心して農作業が出来るし、安心の作物が出来る。
気の長い話ですが、誰かがやっておく必要があると思う。

左上のチューリップのように、一代限りの繁栄を謳歌するのか?
それとも子々孫々にまで、同じ人としての喜びを伝えるのか?
僕は人としての喜びを、他者との繋がりに求めているので、
その実現のために、循環共生型の自給自立社会を求めている。
たとえ今、同じ心を持って一緒に暮らせる人がいないとしても、
きっと世界中のどこかに、あるいは時を超えたどこかに、
同じ心を持って繋がりあえる人がいると、本気で信じています。

時を超えて、場所を超えて、同じ心を持つ人と繋がり会うために、
僕はこうしてブログを書き、映画を観たり本を読んだりもする。
一代限りの孤独なあだ花ではなく、繋がりあえる環を求めて、
限りない自然界への、回帰を願っているのかも知れません。