どちらが豊かなのか?

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見てください、この写真は、
左側が僕らの自然農園に続く土手で、
右側が営農組合の田んぼに続く土手の様子です。
僕らの土地は草が生い茂って、管理が悪いと言われ、
営農の敷地は、除草剤がまかれて土がむき出しですね。
この営農組合のやり方には、税金から助成があって、
僕らのやり方は、まったく何の補助もありません。

この様子を見て、草がない方が美しい!と思うなら、
特にそんな人と議論するつもりもありませんが、
たぶん多くの人は、草のある方に魅力を感じるでしょう。
それなら何故、除草剤を使ってまで草を無くしたいのか?
そこには、目先の収穫量を増やすための管理農業があって、
地面を使った農業ではあっても、自然の恵みでなく、
マニュアルに従って生産する経済システムがあるのです。

草をまったく無くして、余計な生命活動を止めてしまい、
工場生産のように、化学的に必要な要素を注ぎ込んで、
計画通りに作物を生産して売ることに、主眼があるのです。
したがって、こんな農業であれば、環境保全にも役立たない。
だけど様々な補助金が出るのは、こうした団体に対してで、
実際に自然環境を守っている僕らには、変人呼ばわりこそあれ、
膨大な行政予算の、微塵たりとも回されてこないのです。

景気対策としてばらまく税金によって、国土は荒廃を続け、
環境美化の名目で出された補助金でも、自然は壊され放題です。
こんな状態を見ていると、税金など納めない方がいいのでは?
と思うのですが、政府は借金をしてまでお金をばらまきます。
環境破壊の主原因でもある車の販売には、大量の補助があり、
農地破壊の主犯格でもある農業団体には、美化の補助金まで出る。
アホらしくて、政治を信用できるわけがありません。

圧倒的多数の人たちは、気が狂っているのでしょうか?
そうでないなら、どうしてこんな行政が平気で行われるのか?
しかもこうして生産された作物さえ、自給率は低いのです。
現代人は、人間としての見かけこそ百年前と変わりませんが、
体や心を構成している要素は、もう生命力ではなく、
単なる化学物質になってしまっているのかも知れません。
命はすでに希薄で、化学反応があるだけなのかも・・・