「イスラーム金融」

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金融マネーによって膨張した、グローバル経済の中で、
以前から、金利金融を禁じていると聞くイスラーム金融には、
大きな関心を持っていましたが、詳しい内容はわかりませんでした。
2006年には、高岡市でもイスラムに関する講習があって、
そこで学んだことは、このブログ記事にも書いています。
http://blogs.yahoo.co.jp/isop18/41688146.html

また当時日本で中東情勢の第一人者だった酒井啓子教授が、
高岡で講演されたのを聞きに行って、その感想記事も書きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/isop18/41478511.html

この記事の最後に、グローバル金融とイスラム金融の違いで、
金融資本主義と無利子イスラム金融との間に確執があるのでは?
との疑念を問いたかったのに、質問できなかったと書きました。

その後ますます、この疑念は大きくなっていたのですが、
金融資本主義の問題をクローズアップする、マスコミは増えても、
それでは、金融利子を禁じるイスラム金融とはどんなものか?
シャリーアコンプライアンスとは何か?の解説は聞いたことがない。
そう思っていたら、作新学院大学の櫻井秀子教授が、新評論から、
イスラーム金融」を出されたのを読んで、ようやく疑念が解けました。

昔の日本には普通にあった、生活規範としての仏教と同じように、
イスラムの世界では、今でも、経済は生き方と大きく関係している。
予言者ムハンマドが商人であったことも、大きな意味があるようで、
お金の使い方や、商取引の是非、利益に対する概念などが、
具体的に事細かに、人々の生活の中に浸透しているようです。

そこでは、神があまりにも絶対的な存在であるがゆえに、
誰一人として神の代理人・支配者になれないのだから、平等である。
したがって、人々は自らの労働に合わせた利益しか得てはならず、
不労所得などを得ること自体が、根元的に違法となるのでしょう。
喜捨が大きな意味を持って、日常に根ざしているのも、
昔の日本では、ごく自然に見られた仏教的態度と同じです。

すべてのものをマネーで一元化する、新自由主義に対しても、
イスラムでは、人々の関係性を重視する経済システムを放棄しない。
しかもそうした一元化しない人々の土地に石油があるものだから、
石油資源を自由に出来ない、新自由主義の人々がイスラムを攻めた。

だけどイスラムの人々にしてみれば、富よりも存在に価値があり、
労働を伴わない富の所有は、考えられないことになるのです。
この直接性は非常に厳格で、様々な商取引を実際に規制します。
マネーを中心に考えると、イスラムは不合理的かもしれませんが、
商人ムハンマドが、商取引の非人間的な側面を知っていたから、
こうした経済の在り方に対して、具体的に厳しい規律があるのです。

今まで僕は、キリスト教イスラム教も一神教として問題がある、
と思っていたのですが、お金も一つの偶像であることによって、
偶像を信じないイスラム教徒は、キリスト教徒とは大きく違います。
エスに関する様々なものを、神格化して崇拝するキリスト文化では、
マネーもまた神の如く一元化して、絶対視してしまうのですが、
イスラムでは、神以外の何ものをも偶像化しないことによって、
マネーもまた、どう生きるかの一つの証でしかないのです。

こう書いてくると、自分の考えがイスラムに近いことを感じます。
あるいは、イリイチが唱えていたコンビビアルな社会というものも、
抽象的な概念によって、具体的な人間の行為を疎かにしない点で、
イスラム文化の概念に近いものだったのかも知れません。

女性に対する財産分与が、男性に対する半分に決められているのも、
家族を養うのは男性の役目と決められているからであって、
そのぶん女性は、経済的利益より福祉や教育のために働いている。
したがって女性の社会進出はとても活発で、地位も役職もあるのです。
それをマネーによる一元化した価値観で見れば、差別とも見える。

多様な文化の循環共生や、自給自立と言ったこともイスラム的で、
そうしたイスラム文化を、多くの日本人が不気味に思っているのは、
マスコミや知識人が、イスラム文化を正しく伝えないからでしょう。
彼らは、我欲を伸ばす大量消費文化を放棄したくないのです。

世界中で多くの人がイスラム教へ改信しているのは何故か?
この本を読んで、その理由の一端がわかる気がしました。
金融資本主義とは何かが、別視点からわかる、お薦めの一冊です!



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