“To be or not to be”

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オバマ大統領の登場によって、
日本もようやく本格的にグリーン化しそうだけど、
はたして間に合うのかどうか?
いや、間に合ったのかどうか?
企業エゴの植物油賞賛によって失われる森林では、
すでにゾウやトラが断末魔の咆吼を上げているし、
動物界の頂点にいる人類にさえ、
もう手の施しようのない苦しみが日常化している。

かつて厳しい冬を過ごした後に来る春には、
解放の喜びに満ちて外へ飛び出したものだけど、
今ではさほど寒くもない冬の後に来る春は、
一日屋外で過ごすと夜には寝込むほど体調を崩す。
それを症状の重い花粉症などと表現して済ますけど、
これが花粉だけの所為だと誰が信じているのか?
それはまるで恐怖に満ちたSF物語のように、
今や春の屋外には有害要素が満ちあふれている。

鈍感な人たちはテレビなどのマスコミで、
いまだに自然環境よりも景気浮揚策に熱心だけど、
もはや問題は天文学的な借金でさえなく、
“To be or not to be“になっているかもしれない。
多くの人々が口では環境保護を唱えながら、
さらに取り返しのつかない開発による破壊を続けて、
敏感な人は特段の異常気象を待つまでもなく、
もう普通には暮らせなくなったことを実感している。

僕は今日は快晴の春を味わいながら農作業をして、
途中からは目の痒みやくしゃみや鼻水に悩まされ、
家に帰ると一気に体がだるくなって寝込んでしまった。
真夜中に起きてこうしてパソコンに向かいながら、
明日はまた一日外出しないスケジュールを考える。
何年か前から春の外出は一日おきにしかできなくなって、
僕はその新しい当たり前に合わせて暮らすようになった。
これはいったい誰の「末期の目」なのだろうか?

今年も来年もさらなる自然環境の破壊は続き、
“not to be”の選択による異常気象は進むでしょう。
人工的に自然環境を整えたバイオドームが建設され、
それを人類の偉業だと胸を張って笑う鈍感人の傍らで、
分水嶺を超えて過敏になった人々は倒れていく。
誰かが歌った“What a Wonderful World”は失われ、
かつては豊かに命を潤わせた大自然の水と空気は、
やがて健康優良食品の商品棚に陳列される。