人生は協働

今年の北陸は例年になく、日照時間の長い冬でした。
雪が少なく、なんだかもの足りない気もしながら、
それでも確実に春は来て、花粉症もじわじわとひどいです。
昨日のように、日中に出歩いているときは平気なのに、
家に帰ってリラックスすると症状が出てきます。
水洟が出て、喉が痛くて、目がものうくて、頭が重い。
体力的にも気力的にも元気がなくなって、ダウンです。

本来ならもう始めていい農作業さえ、控えるほどに、
花粉症を気にして、外出を少なくしている季節ですが、
それでも外出した日は、予定をこなすと同時に、
新たな用事を、抱え込んでくることも多くなります。
だけど家に帰って食事の用意などしているうちに、
次第に花粉症の症状が始まって、全身が怠くなると、
もうほとんど何もやる気がなくなって、時間が過ぎる。

それでも、頭の中だけは多少働き続けているので、
昨日は一日出歩いて見たこと、打ち合わせたことの中で、
男女平等基礎講座のことを思い出して、考えていました。
これは高岡市の、男女平等推進事業の一環で行うのですが、
僕は声掛けをされたときに「協働」の基礎講座と思い、
勘違いして参加してしまった経緯がある事業です。
だけどこの勘違いには意味があるような気がしていて、
その意味を考えている内に、一つの環が見えて来たのです。

元々僕が循環を重んじて、自給自立型の社会を願ったのは、
学生の頃から感じていた、社会の様々な矛盾や歪みに対して、
個々の問題に対応しても、事態は改善しないと感じたからです。
むしろ、さらに大きな問題を創りだしている気さえした、
その根元的な問題が、金融マネーに代表される拡大経済で、
社会全体が中毒になっている経済価値観に起因している!
そう理解する中で、問題を起こさない生き方の発想を知り、
これを整理したのが、循環共生と自給自立だったのです。

これを政治的に取り入れるには、市民参加が不可欠で、
そのための手法として、協働は大切な考え方になるでしょう。
だとすれば、男女平等の基礎講座においても大切なはずで、
その繋がりを学ぶことは、自分を含む参加者全員にとって、
人生全体にさえ役立つことだと、考え始めていたのです。
そんな思いで、キャッチコピーは「人生は協働」としました。
具体的な内容はこれから詰めますが、方向性は決まりです。

男女平等というと、ジェンダー的なものを持ちだして、
性差なく人を扱おうとする人がいる一方で、性差を重んじ、
その特長を活かした平等を、模索する人たちもいます。
僕はどちらかと言えば後者ですが、それも一つの派生であり、
さらに多くの個性、価値観が、それぞれ大切にされる社会、
個々人が持って生まれた命の個性を、自由に生きられる、
平等社会の実現には、会社でも家庭でも協働が必要なのです。