大量消費しない豊かな生活へ!

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政治家からマスコミまで、詐欺まがいの嘘に満ちた現代日本で、
もっとも悪辣な騙しは、“大量消費による豊かな社会”でしょう。
多くの人の利便性のために考案された、道具としてのおカネは、
利子付き金融マネーとして、借金の姿を持って膨大に膨れあがり、
生産もしていないものを、マネーで略奪するシステムになりました。
何も生産しないマネーを消費することで、生活が成り立つような、
こんな消費社会とは、二重の意味で危うく貧しい人間の営みです。

金融マネーの騙しのテクニックについては、ブログにも書きましたし、
既にたくさんの人が気付いて、様々な見地から多くの研究がなされ、
エンデの遺言やゲゼル理論も、一般に知られるようになりました。
政府発行の無利子国債が話題になり、金融界から即座に否定されたのも、
こうした流れと無関係ではないけど、マスコミは決して言及しません。
膨大な借金によって、世界中から好きなものを買い集める経済は、
アメリカから発して、今では日本経済の根幹に深く食い込んでいる。
Changeを叫ぶオバマさんでも、これをどう改革できるかは難しい。

それでも多くの人が気付いてしまった以上、また長い年月をかけて、
社会の価値観は変わって、大量消費型金融社会は葬られていくでしょう。
そこで今、すべての人が自分こととして考えなければならないのが、
マネー経済に変わる、大量消費でない豊かさとは何かということです。
実はその答えも、すでに多くの答えが試みられているのですが、
僕がchoiceしたのは、コンビビアルな循環型の生活をする社会です。
これはイリイチから学び取ったものですが、自然農も同じ価値観です。

そもそも消費者とか消費社会とは、どれだけ人を豊かにするのか?
すると実は、お金を支払うことで失っているものがあることに気付きます。
例えば衣食住を考えると、一枚洋服を買うことで作る喜びを犠牲にする。
食べ物を買うことで、農作業の喜びやその工夫や土との対話を犠牲にする。
家を買えば、森林との関係や材木を調達する様々な智恵を失ってしまう。
そんなものは専門家に任せて、自分はもっと楽しいことをすればいいのか?
自らが共に暮らす人たちと顔を合わせて、共に衣食住を分かち合うより、
見ず知らずの人が作った衣食住を、おカネを払って買う方が豊かだなんて、
いったいどうしてそんな幻想を信じるようになったのか、不思議です。

しかも、そうした生きる喜びを犠牲にして稼いだおカネで何をするのか?
いくら大金を支払っても、喜びを実感できるのは五体五感の我が身です。
結局はこの体を動かし、心の通い合いを求めて生活するしかできません。
ために貯めたお金で、100億円の豪邸に住めば羨ましがられるでしょう。
10億円のヨットで地中海に自分の島を買って暮らしたとしてもです、
人として産まれた私にできることは、自分の五感と五体を使って生きる!
無一文で自然に向かうのも、1000億円で自然に向かうのも、
どこまでも、生まれ持った一身上から出られるものではないでしょう。

そうであれば、しかもこの大量消費や大量生産には破壊が付きまとうなら、
もっとシンプルに、必要な物だけを所有して、なるべく自給自立すれば、
膨大な借金で格差社会を広めなくても、豊かに生きる社会は可能なのです。
自分で作物を作る喜びを、マネーなんかに奪われないようにして、
なるべく小さな地域で自給自立ができるように、政治が手助けをして、
食とエネルギーに不自由しないようにすれば、武力も必要なくなります。
そんな価値観による社会の構築へ向けて、生き方そのものを変えていく!
僕はこれが幸せだろうと選び取って、自然農も紹介しているのです。


写真は、今年の自然農予定地を、去年の夏の朝に撮ったもの。
手が届きそうなところを、雲の一団が通り過ぎていきました。