ミレニアム散居村

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   2009年!
新年あけまして
 おめでとうございます!


およそ400~500年ほど昔のことになりますが、
ある暴れ川の支流に、肥沃な平野がありました。
人々はどこからともなく、そこに移り住むと、
家のまわりに田畑を開き、定住するようになります。

やがてその沃野を統治することになる、前田利家は、
租税の取り立てで、農民との対立を避けるために、
農家が組合を作って、租税を自主的に管理する仕組み、
十村制度を設けて、安定した税収の確保をしました。
利家公はさらに、農民の努力を促すために定免制を設け、
定量以上の収穫は、農民の富として見逃したのです。

地方自治長としての利家公は、石高数値を増やすよりも、
定量の石高税収を確保した上で、あとは農民の自由とし、
農家が自主的に豊かになることを、善しとしたのでしょう。
おかげで農民は、働いて増収すれば豊かになるので、
一生懸命に働いて、新しい開墾地を増やしていきました。

時々は開墾地の測量があって、新たな石高となりますが、
この沃野では、それぞれの家が独立して開墾地を持ち、
同じような家の周囲に、同じような田畑を持っていたので、
その土地の人間でないと、自分の居場所もわかりません。
測量に来た役人は簡単に騙され、石高は増えませんでした。
だけど実際には、さかんに分家開墾が行われたのです。

それぞれの家が100mほど離れて暮らしていますから、
どんなに大騒ぎしても、周囲には遠慮が要らないし、
開けっぴろげの家なのに、プライバシーは守られます。
どの家も同じ作りだから、子どもたちも安心ですし、
みんなで子育てをするから、地域の絆も強くなります。

それぞれの家のまわりには、大きな屋敷林があって、
屋敷林の中を造成した池と小川があり、魚も養殖する。
もちろん簡単な家畜も飼えますし、周囲には田畑がある。
家屋の建築材は、屋敷林が育った頃に切って使えるし、
打ち枝や落ち松葉などは、薪として燃料になります。
降り積もる秋の落ち葉は、田畑の肥料として使われます。

柿、栗、イチジク、ビワなどの果実も、家の庭にあって、
梅干しも自家製の梅を摘んで作りますし、シソも自生です。
あえて余所から買う必要があるのは、衣類でしょうか?
それさえこの地方では、綿花栽培や蚕の養殖があったので、
個人で自給できないものは、地域で自給できたのです。

こうして自給自立的な生活で豊かになった村々では、
農家の人々が集まって俳句を詠んだり、お茶会をしたり、
家の物置部屋には、文化遺産が眠っているような生活です。
戦時中でさえ、この地域は衣食住に不自由しませんでした。
しかもこんな豊かな生活が、誰から搾取したわけでなく、
自分たちの労働によって、誰も苦しめずに成しえたのです。

僕は911事件以来、グローバル経済の危うさを思い、
ローカルで自給自立できることが、安心生活の基盤と考え、
そうした生活を求めて、試行錯誤を続けてきました。
生き方としての自然農に、一つの答えを見出しましたが、
気がつけばそれは、散居村の生活そのものだったのかも。

千年続く幸せを保証するものだった、散居村の暮らしは、
この30年のマネー経済で、壊滅的に崩されてきましたが、
まだ間に合うことは、僕が身をもって確信しています。
懐かしい未来に向けて、散居村の心を学び直したい!