労使 vs 金融システム

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このところ毎日のように、マスコミでは雇用打ち切りのニュースと、
零細企業の経営難のニュースが流され、経済の落ち込みを伝えています。
実際に、突然契約を打ちきられて、雇用を解雇される人は後を絶たず、
すぐに寒い季節になる年の瀬を前にして、途方に暮れる人は多いでしょう。
だけど、実際に困っている人に手を差し伸べる必要を思うと同時に、
今回の経済危機は、何年も前から予見されていたことが起きただけで、
不思議なことでも何でもなく、大企業の人たちも予測していたから、
そのための安全弁としての、一時雇い労働者だったことを知るべきです。
だからこそ、誰に何と非難されようと、大企業は派遣労働者を切り捨て、
予定通りに法律に則って、会社のスリム化を進めるしかないのです。

ここまで日本の大企業は予想して、それに合わせて法改正をしてきて、
今まさにそのシステムを使って、生き残りをしようとしているわけです。
あきれるのは、労働組合社会福祉に携わる人たちの今までの態度で、
何故?この予見されていた事態に対して、何も手を打ってこなかったのか?
と言っても、公務員の職にある人たちが、自分たちの利益を守るために、
市民の納めた税金を、あの手この手で誤魔化して自分たちのものとして、
支払うべき年金さえ無かったことにして、誰も処分されない体質です。
その総大将である麻生さんは、2ヶ月前には、日本の経済は底堅いので、
世界的な金融危機にも堪えられる、大丈夫だと豪語したうえに、
海外へ行ってまで、その的外れな不見識をばらまいて得意げでした。

こうした政治の不在状況の中で、事態は日増しに深刻になってしまい、
有効な打つ手のないままに、失業者は増え、倒産と負債が増えてきている。
はっきり言って、長期的にはもう生産過剰で、資源の無駄遣いなので、
工業生産物の総量は、徐々に縮小させる必要があったのは間違いありません。
問題は、何年も前に政治がそれを予見した時点で、大企業だけの利益でなく、
国の産業構造自体を転換させるような、長期ビジョンと戦略を持って、
そのための具体的な法律の整備と、政策運営をしてくるべきだったのです。
それなのに、小泉・竹中政権は、アメリカの求めるままに互助型社会を捨て、
金融グローバル経済による経済破綻、政治崩壊、社会不信の道を開いた。
その必然的な結果が今の状態で、国民が小泉・竹中政権を支持したのです。

こうした新しい関係を見据えないと、懐かしい昔の労使関係の延長で、
会社側に雇用の継続を求める労使交渉をしても、まったく意味がありません。
自ら役に立たない政府となった政権が、いくら資金の流量を増やしても、
過剰に膨らんでいた金融マネーは萎んでしまい、銀行には貸せる資金がない。
もはや会社の業績や将来性の問題ではなく、実質経済以上の借金があるので、
融通したくても、誰も他者に資金を出せる状態ではなくなってきているのです。
したがって、過去の労使交渉に見られたような、交渉の余地もないのです。
良心的な企業にできることは、資金が無くてもできる社員寮の開放くらいかも。
首を切られて右往左往する人々の敵は、金融グローバル経済政策そのものです。
これを救えるのは企業ではなく、国がダメなら地方自治体の行政でしょう。

それにしても最近の国会審議とその発言は、与野党が同じことを言い合って、
肩書きを見ないと、どっちが与党か野党かわからない上に、何も進展しない。
ときどき真っ当なことを言う議員がいると、かわいそうにさえ見えてきます。
そして誰の発言を聞いていても、問題の本質を指摘して改善しようとしない、
出てきた問題に蓋をするばかりで、腐ったゴミを一掃する発想はなさそうです。
なるほど、自己責任ってことで、やっぱり田舎で自給生活がよろしいようで・・・