「ミスター・ミー」

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先月の15日に、東京創元社から出たばかりの小説で、
イギリス人作家、アンドルー・クルミーの「ミスター・ミー」。
たまたま読む機会があったのですが、これは刺激的な作品でした。

世情に疎い老学者が、たまたまタイヤのパンクと俄雨によって、
少しずつ自分がこれまで知らなかった世界に巻き込まれる様子は、
滑稽でもあり、だけど歴然とした学問の世界観が広がっている。
ザンティック族、ロジェの「百科全書」、フェリアの伝記、
これらのものが本当にあるのかないのか?僕にはわからない!
それどころか、主人公の老学者にもわからないようで、知りたがり、
ロジェの「百科全書」に触れて書いている教授に、手紙を出して、
真実を探し求めるところから、この物語は始まっていく。

別の章では、ジャン・ジャック・ルソーにまつわる話として、
時代は突然「エミール」や「告白」が書かれた18世紀半ばになり、
ミナールとフェランが、ロジェの「百科全書」に絡んでくる。
そこで得体の知れない殺人事件が起こり、逃げ出す二人の様子は、
コミカルな道化そのものなのに、不思議な真実味もある。
実在の人物が、実在の書物を執筆する様子なども描かれていて、
こうして文章で描かれていることによって、真実にもなっている。
この二人は、まさに「告白」の中に登場する実在の人物になる。

さらに別の章では、老学者が手紙を書いて問い合わせた教授が、
「告白」と「百科全書」に共通する謎の人物を指摘しながら、
ミナールとフェランは実在しない!と論文にも書いているのです。
読んでいるうちに、いっとき思考は混乱してくるのですが、
少しずつ明らかになる物語は、物語として実在もしてくる。
この物語によって、現に生きている人が動かされるのを見ると、
そもそも「存在とは何か」と自問したくなる、怪しさが漂ってくる。
それどころか、この物語は知らないところで自分に影響している。

こうやって内容の解説をしていても、この本を読まない限り、
絶対にわかりっこない固有性を備えながら、普遍的な何かがある。
実に不思議で、読み終わるまで全容がわからないのに、
読み終わったときに、何とも言えず腑に落ちるから面白いのです。
「文学界のエッシャー登場!」なんてフレーズが付いていて、
視覚による騙し絵的なものを強調する論評もあるようですが、
この作品はあまりに知的で、視界を大きくはみ出していくのです。
「存在」に対する哲学的な彼の回答が試みられている気がします。

個々のパーツは小説として、面白おかしく書かれていながら、
全体のレトリックは、きわめて哲学的な内容を含んでいる。
実に個性的な手法そのものが、創作の真骨頂なのでしょう!


アンドルー・クルミーの「ミスター・ミー」は、(↓)こちらから。
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