13年前&26年前
今や円高は13年前の水準で、株価は26年前の価格だそうです。
小泉・竹中政権以来、経済は欲望のまま自由にさせればいいことですから、
いくらになろうと構わないってことで、膨大な金融マネーが駆けめぐり、
真面目に働く勤労者よりも、詐欺まがいの金融業者が社会を席巻しました。
今さら株価が安くなったからと言って、金融業界に税金を使わないで欲しい。
そんなお金があるなら、社会福祉を充実させれば全員が助かるのに、
政府はあくまで、お金持ちネットワークだけを救済したいようですね。
こんな狡猾な議論に巻き込まれたくないのですが、政治は生活そのものです。
自分とは無関係にして欲しいと言っても、国家権力として個人を制約し、
納得もしていない制度に組み込まれて、税金や保険料を強制徴収されていく。
このままでは、これから生まれてくる子どもたちの将来が心配だったので、
自分はなるべく問題を起こさない、自然農による自給自立に向かいながら、
社会的には、市民の政治参画やまちづくりNPOの活動に参加して、
少しでも多くの人が幸せになる道を、仲間と一緒に探り続けてきたのです。
さてこの数年間、道を誤ったための多くの社会問題が顕在化しましたが、
それでは今と同じ円高、不況、株安だった頃は、どんな社会だったのか?
この13年前、26年前を振り返ると、不思議な繋がりが見えてきました。
まず13年前と言えば、阪神大震災やオウム真理教事件があった年で、
円は1ドル80円台、僕は海外のリゾート地でダイビングを楽しみました。
オウム事件の時は、バリ島にいてこの事件を知った記憶があります。
年収800万円の独身生活で、何かが麻痺した生活だった気もします。
ところが、さらに13年を遡る26年前、僕は大きな絶望の中にいました。
学生の頃から旅の生活を始めて、サラリーマンになることに疑問を感じ、
沖縄に1年半、アメリカに1年半、メキシコ、グァテマラ、タイ、ロタ、
その他の場所を転々としながら、自分が求めるものを見出せないでいました。
結婚式場や、NHKや、印刷会社でおカネを稼いで、そのカネで旅を続け、
「これだ」と思うものに出会えず、次第に絶望的な気持ちになっていった。
そこに大きな転機をもたらしてくれたのが、山本哲士という人でした。
彼が、東中野にあった新日本文学の学校で、何かの講義をされたときに、
僕はたまたま出席していて、その話に驚くほど共感出来たのです。
現状社会を分析する視点の新鮮さと、その視点に共感出来る自分がいる。
それまで学校で教わることを信頼出来ず、むしろ馬鹿にしていた僕は、
彼の社会分析と、あるべき社会や人間の姿に、心の底から共感出来た!
しかし彼は、僕が絶望していたと同じように、社会の現状を悲観していた。
「希望はないのですか?」と聞いたら「ない」と答える人でした。
僕にしてみれば初めて同じ価値観を持つ人に出会い、藁にすがる気持ちで、
自分はこの先何を学べばいいかを問い、彼は僕を自宅にも招いてくれました。
そして紹介してくれたのが、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」と、
E.F.シュマッハーの「人間復興の経済学」そしてイリイチだったのです。
彼は新評論から初めての本『学校・医療・交通の神話』を出したところで、
この内容は、当時の僕にはまだ理解出来ず、山本さんとはそれきり、
二度と会っていませんが、僕の生涯に多大な影響を与えてくれました。
考えてみれば、当時も今も株やおカネにはあまり関心がなかったのですが、
問題は、それでは何が大切なのか? 何を大切に生きればいいかを探していた。
そこに一つの答えを、しかも絶望の中にある答えを教えてくれたのです。
その後僕がイリイチの価値を本当に理解するには、20年が必要でしたが、
その間には、Small is Beautiful の意味も理解出来るようになっていました。
今の株価が26年前と同じだと聞いて、僕は新しい社会の振り出しを感じます。
「Small is Beautiful」が最初に書かれた70年代こそ、スタート地点です。
ヨーロッパではこの20年間に、大きく軌道修正がされたようですが、
日本の社会的な価値観は相変わらず経済拡大が中心で、相当に遅れている。
だけど今回の金融経済危機で、封建的な日本と言えども方向転換するでしょう。
いつまでも自衛隊の派兵が世界貢献だなどと時代遅れのことを言っていては、
やがて誰も相手にしてくれなくなる、これからはそんな時代になるのです。
僕のブログに「イリイチ」のコーナーがあるのは、偶然ではありません。
経済が26年前に戻るなら、再スタートの絶好のチャンスにもなるでしょう!
山本哲士さんの「“資本”から人間の経済へ」は、(↓)こちらから。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4883840697?ie=UTF8&tag=isobehon-22
小泉・竹中政権以来、経済は欲望のまま自由にさせればいいことですから、
いくらになろうと構わないってことで、膨大な金融マネーが駆けめぐり、
真面目に働く勤労者よりも、詐欺まがいの金融業者が社会を席巻しました。
今さら株価が安くなったからと言って、金融業界に税金を使わないで欲しい。
そんなお金があるなら、社会福祉を充実させれば全員が助かるのに、
政府はあくまで、お金持ちネットワークだけを救済したいようですね。
こんな狡猾な議論に巻き込まれたくないのですが、政治は生活そのものです。
自分とは無関係にして欲しいと言っても、国家権力として個人を制約し、
納得もしていない制度に組み込まれて、税金や保険料を強制徴収されていく。
このままでは、これから生まれてくる子どもたちの将来が心配だったので、
自分はなるべく問題を起こさない、自然農による自給自立に向かいながら、
社会的には、市民の政治参画やまちづくりNPOの活動に参加して、
少しでも多くの人が幸せになる道を、仲間と一緒に探り続けてきたのです。
さてこの数年間、道を誤ったための多くの社会問題が顕在化しましたが、
それでは今と同じ円高、不況、株安だった頃は、どんな社会だったのか?
この13年前、26年前を振り返ると、不思議な繋がりが見えてきました。
まず13年前と言えば、阪神大震災やオウム真理教事件があった年で、
円は1ドル80円台、僕は海外のリゾート地でダイビングを楽しみました。
オウム事件の時は、バリ島にいてこの事件を知った記憶があります。
年収800万円の独身生活で、何かが麻痺した生活だった気もします。
ところが、さらに13年を遡る26年前、僕は大きな絶望の中にいました。
学生の頃から旅の生活を始めて、サラリーマンになることに疑問を感じ、
沖縄に1年半、アメリカに1年半、メキシコ、グァテマラ、タイ、ロタ、
その他の場所を転々としながら、自分が求めるものを見出せないでいました。
結婚式場や、NHKや、印刷会社でおカネを稼いで、そのカネで旅を続け、
「これだ」と思うものに出会えず、次第に絶望的な気持ちになっていった。
そこに大きな転機をもたらしてくれたのが、山本哲士という人でした。
彼が、東中野にあった新日本文学の学校で、何かの講義をされたときに、
僕はたまたま出席していて、その話に驚くほど共感出来たのです。
現状社会を分析する視点の新鮮さと、その視点に共感出来る自分がいる。
それまで学校で教わることを信頼出来ず、むしろ馬鹿にしていた僕は、
彼の社会分析と、あるべき社会や人間の姿に、心の底から共感出来た!
しかし彼は、僕が絶望していたと同じように、社会の現状を悲観していた。
「希望はないのですか?」と聞いたら「ない」と答える人でした。
僕にしてみれば初めて同じ価値観を持つ人に出会い、藁にすがる気持ちで、
自分はこの先何を学べばいいかを問い、彼は僕を自宅にも招いてくれました。
そして紹介してくれたのが、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」と、
E.F.シュマッハーの「人間復興の経済学」そしてイリイチだったのです。
彼は新評論から初めての本『学校・医療・交通の神話』を出したところで、
この内容は、当時の僕にはまだ理解出来ず、山本さんとはそれきり、
二度と会っていませんが、僕の生涯に多大な影響を与えてくれました。
考えてみれば、当時も今も株やおカネにはあまり関心がなかったのですが、
問題は、それでは何が大切なのか? 何を大切に生きればいいかを探していた。
そこに一つの答えを、しかも絶望の中にある答えを教えてくれたのです。
その後僕がイリイチの価値を本当に理解するには、20年が必要でしたが、
その間には、Small is Beautiful の意味も理解出来るようになっていました。
今の株価が26年前と同じだと聞いて、僕は新しい社会の振り出しを感じます。
「Small is Beautiful」が最初に書かれた70年代こそ、スタート地点です。
ヨーロッパではこの20年間に、大きく軌道修正がされたようですが、
日本の社会的な価値観は相変わらず経済拡大が中心で、相当に遅れている。
だけど今回の金融経済危機で、封建的な日本と言えども方向転換するでしょう。
いつまでも自衛隊の派兵が世界貢献だなどと時代遅れのことを言っていては、
やがて誰も相手にしてくれなくなる、これからはそんな時代になるのです。
僕のブログに「イリイチ」のコーナーがあるのは、偶然ではありません。
経済が26年前に戻るなら、再スタートの絶好のチャンスにもなるでしょう!
山本哲士さんの「“資本”から人間の経済へ」は、(↓)こちらから。
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