日本人の忘れもの

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高岡市生涯学習センター主催教養講座として、
曹洞宗清源禅寺住職である、川越恒豊さんの講演、
「日本人の忘れもの」があると知り、聞きに行きました。
この題名での講演は、ほかの地区でもやっておられて、
以前から一度聞いてみたいと、気になっていたのです。

若い頃は永平寺で修行もされたという恒豊さんは、
もう70歳を過ぎておられるのに、とても元気でした。
最初は人生の光と闇の話から始まったと思いますが、
仏や観音さまの微笑と、モナリザの微笑の違いについて、
仏のは「みしょう」だけどモナリザは「びしょう」だとか、
内面から出る美しさでなければ、本物ではないなど、
次々に話が広がって、留まるところを知りません。

有頂天になっていると、足下をすくわれる。
竿の先のさらに先の努力がないと、大成しない。
しつけとは、着物を作るときに反物を落ち着かせるもの。
人が切れるというのは、人の縁が切れると言うこと。
いただきますとは、食物のいのちに対する感謝の言葉。
相撲のハッケヨイは、吐気ヨイのことだとか、
これがそれぞれエピソードを伴って話されるのです。

話しぶりは軽妙で、ラジオのDJをされてこともあり、
たくさんの逸話も次々に飛び出して、実に面白いのです。
天皇家の家族の繋がりの話など、興味深いものもあり、
ご自分の母親や伴侶を、それとなく誉めてみたりと、
聞きに来た人たちの、心を掴むポイントも上手です。
上野のアメヤ横町で「安い茶でいい茶」話など、
どこまでが本当かもわからない煙の蒔き方でしたが・・・

1時間半の予定を30分も超過して話が終わり、
さて彼は何を伝えたかったのか、考えてみました。
すると、僕らが普段から大切だと思っている価値観、
たとえば、お金ではない人間性の豊かさだとか、
子どもが乱れるのは、子が悪いのでなく親の所為だとか、
人には多少の不便さが無いと、成長しないなどなど、
確かに現代にも通じる、人間としての大切なことでした。

僕にしてみれば、あたりまえのことばかりでしたが、
このあたりまえの価値観が、失われている現代なのです。
川越恒豊さんも、そこに危機感を持って話されている。
この老僧にして子たちの未来を案じずにはいられない、
そのような現代というものを、あらためて痛感しました。