戦火の嘆き
今年も終戦記念日の前後には、戦争を振り返る番組やイベントがありました。
それらを見ている中で、どうしても気になることがあるので書いておきます。
たとえば悲惨な戦争体験を披瀝する人が、当時の嘘で固めた情報を批判して、
大本営は本当のことを言わないから、状況判断を誤って負けてしてしまった!
とか、司令部の独断で、やってはいけないことをやって負けてしまったのだ!
負け戦は如何に悲惨なものか、それはもう二度とあってはならないことです。
と戦争に負けた悲惨さを語り、勝っていればよかったと思われる発言をする。
戦争の悲惨さを省みて、二度と再び戦争をしてはならないとする平和精神は、
いつのまにか、二度と再び負けてはならないとして、勝つことを求めている!
為政者の都合で作られた敵味方によって、敵国民であれば悲惨でも良いのか?
まるで被害者になるのは悲惨だから、加害者になろうと言うようなものです。
ひとたび戦闘が始まれば、大勢の被災者を出して決着するまで闘うのが戦争!
被災者が敵であればよいと言うなら、それはあなた自身かも知れないことで、
負ければ悲惨だけど勝てばいいと考えること自体、戦争を支持することです。
平和とは、あくまでも戦争をしないことで、武力で守る平和など無いのです。
こうした現実を忘れて、敗戦したことの反省をするような報告はいりません。
開戦そのものが負けですから、必要なのは、開戦を反省するに尽きるのです。
この写真は、伊江島の反戦資料館で見つけた、嘆きの人を彫ったものですが、
世界中の何処であれ、このような嘆きのない社会を作ることが大切だと思う。
それらを見ている中で、どうしても気になることがあるので書いておきます。
たとえば悲惨な戦争体験を披瀝する人が、当時の嘘で固めた情報を批判して、
大本営は本当のことを言わないから、状況判断を誤って負けてしてしまった!
とか、司令部の独断で、やってはいけないことをやって負けてしまったのだ!
負け戦は如何に悲惨なものか、それはもう二度とあってはならないことです。
と戦争に負けた悲惨さを語り、勝っていればよかったと思われる発言をする。
戦争の悲惨さを省みて、二度と再び戦争をしてはならないとする平和精神は、
いつのまにか、二度と再び負けてはならないとして、勝つことを求めている!
為政者の都合で作られた敵味方によって、敵国民であれば悲惨でも良いのか?
まるで被害者になるのは悲惨だから、加害者になろうと言うようなものです。
ひとたび戦闘が始まれば、大勢の被災者を出して決着するまで闘うのが戦争!
被災者が敵であればよいと言うなら、それはあなた自身かも知れないことで、
負ければ悲惨だけど勝てばいいと考えること自体、戦争を支持することです。
平和とは、あくまでも戦争をしないことで、武力で守る平和など無いのです。
こうした現実を忘れて、敗戦したことの反省をするような報告はいりません。
開戦そのものが負けですから、必要なのは、開戦を反省するに尽きるのです。
この写真は、伊江島の反戦資料館で見つけた、嘆きの人を彫ったものですが、
世界中の何処であれ、このような嘆きのない社会を作ることが大切だと思う。