オリンピックへの疑問

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僕は44年前の東京オリンピックさえ、覚えている世代なので、
基本的にオリンピックは好きであり、毎回楽しみにして見ています。
米ソの冷戦で、日本が参加出来なかった年もありましたけど、
こうして、4年に一度のスポーツの祭典が続いていることは頼もしい。
世界中の選手が参加する競技で、日本選手の活躍も楽しみですし、
普段は馴染みのない国を、オリンピックで覚えることもあるほどです。

だけど今年の北京オリンピックは、開催前からいくつか疑問がありました。
急激な経済開発に伴う激しい貧富の差や、大規模な公害の問題など、
大きな問題を抱えた国が、それを強力な圧政によって押さえ込む状態で、
平和への祭典が出来るのかと危ぶむ、おもに開催国への疑問でした。
ところが実際にオリンピックが始まってみると、新たに湧いた疑問は、
企業とマスコミによってショーアップされた、オリンピックへの疑問です。

まず開会式ですが、あの巨大イベントはオリンピックと何の関係があるのか?
スポーツの祭典のはずが、中国の国威掲揚にまんまと乗せられている感じ。
そして日本のマスコミ報道は、なぜか知った顔の連覇がもてはやされて、
顔の知られた有名人が優先して報道される、まるで芸能番組を見るようです。
そう言えば確かに、芸能番組に登場するアスリートは増えていますし、
有名人であれば事前に取材もしやすく、視聴率が稼ぎやすいのでしょう。

だけど本来スポーツは、純粋に記録を競う、誰にも平等なもののはずで、
一度その頂点に立った人は、後進にチャンスを譲る器量さえ欲しいと思う。
ところが昨今は、そうした純粋な勝負とは違うチカラが介入しているのか、
強化選手や代表選考でも、かならずしも機会平等でないことを知りました。
トヨタをバックにした人気者は、選考試合で負けたのに代表になって、
それどころか、オリンピックの顔としてもてはやされたのは何故なのか?

あまり考えたくなかったことですが、オリンピックも商業化してしまい、
マスコミと企業が一体となって、消費者・視聴者への媚びを始めたのか?
いっときは、オリンピックの簡素化を求められた時期もあったようですが、
これだけのイベントを、商魂たくましい企業が見過ごすはずもない。
あの手この手で、表に裏に企業利益がオリンピックを牛耳る始めたのか?
あるいは、それも疑問に思われないほど、人は消費者になってしまったか!