過剰でない社会へ!

このところ、晴れた日は田畑へ行って農作業をしており、
暗くなる頃に家に帰って、夕食の用意などしていると、
それだけで疲れ果てて、他の用事をする気がしません。
たまに天気が悪い日は、半日はダウンしていますし、
残り時間は、溜まった家の中の用事をこなして終わりです。

そんなわけで、メールのチェックさえ滞りがちになって、
気が付くと200~500通のメールが溜まっています。
その他に、自動振り分けされた迷惑メールは1000通以上、
これは確認もしないで、全部消去してしまいますが、
間違いでも迷惑メールでもない、膨大なメールに対しては、
時々呆然としながら、MLものは開かずに削除してしまいます。

それぞれは大切な要件だったとしても、数が過剰になれば、
読むことも出来ないのだから、迷惑メールよりもタチが悪い。
これもまた、過剰による意味の変容の一例なのでしょうか?
現代に暮らす僕らの身の回りには、こうした過剰があまりに多い!
そしていつのまにか、本質が見えなくなっていたりする。
実はその最たるものが、マネーではないかと思っています。

おカネそのものは便利な道具で、様々なものを交換出来る。
ところが 1971年に、世界通貨のドルが金本位制を止めてしまい、
その後金融マネーが、何の交換物もないまま膨らんでいくと、
金融と利権に関わる者だけが富をなす、歪な社会が始まりました。
最初にその猛威を見せたのが、1973年のオイルショックで、
これを契機に、欧州、特にドイツと北欧は新しい道を選択する。

すなわち、輸入しなければならないものへの依存を小さくして、
自前のエネルギーと食料で、自立して暮らせる国を目指すのです。
困難や問題は大きかったでしょうが、道筋は見出したのです。
ところが日本では、こうした方向転換がまったく考慮されず、
新しい道を模索する人々を蹴散らして、バブル景気に酔いしれます。
そして行き着いた先が、身動きの取れない850億円の借金です。

最近数年間も、この国は経済成長していることになっていますが、
それはこの借金に対する利子が、誰かの収入になっているからです。
おカネがおカネを生みだす金融マネーに、何が出来るでしょうか?
この過剰なマネーは、有り余って行き場を失い、投機に走る。
その結果が、ピークオイルで値下がりしない石油をさらに高騰させ、
食料品を中心とした、あらゆる生活物資を値上がりさせるのです。

こうなることは、以前から明白にわかっていたことなので、
世界中で多くの人が金融マネーに疑問を持ち、声を上げていたのに、
少なくとも日本では、役人はザル勘定でおカネを使うばかりだし、
政治家は借金の支払いのために、増税することしか考えていない。
その説明も、過剰な言葉の中で、何を言っているのか意味不明です。

さあ、いいかげん、こんな過剰なマネー社会は放っておいて、
自分の衣食住は自分で調達する、堅実な道を築いていきませんか!
きっとその方が健康で、心の豊かな生活になるでしょう♪