チューリップテレビ・モニター終了
今年の1月から6ヶ月間の視聴者モニターが終了して、
最後の報告を兼ねた、モニター会議に出席してきました。
富山市は遠いので、最近は足が遠退いていますが、
普段から、テレビ番組には意見したいことも多いので、
聞いてくれるとあれば、行って話をしておきたい。
そんな気持ちで、チューリップテレビへ行ったのです。
今期モニター・メンバーである、7人全員が出席して、、
今まで報告書を出した、14本の番組に対する意見から、
テレビ局そのもの、あるいは番組編成に関しての提言など、
皆さん活発に、それぞれの意見を述べられていました。
僕からは番組広報の仕方や、ウエブ繋がりへの強化など、
番組の質と共に、見たいと思わせる仕掛け作りも望みました。
TBSをキー局とする、ローカルテレビ局としては、
思うように番組編成を出来ない事情や、番組作りの難しさ、
自社で作った番組の流し方まで、苦労が絶えないようでした。
そして今回、僕が初めて見た番組が多かったことを思うと、
現在、我が家で見られるテレビ局が7局あることさえ、
多すぎて、毎日どんな番組を流しているのかさえ知らない。
旧来のテレビだけでも、これだけ情報量が多い中で、
僕らは何を頼りに情報を選別して、取り込めばいいのか?
インターネットでは、自分の好きな情報ばかりを見るので、
偏った知識になりそうなところを、テレビなどの公共放送は、
膨大な情報から、要点を選別してくれるメリットはある。
だけどその選別によっては、大きな偏向も起きてしまう。
たとえば先日秋葉原で起きた、無差別殺傷事件に関しても、
テレビのコメンテーターや司会者は、みな同じように、
「加害者の行動がまったく理解できない」と嘆いていたけど、
NHKの調査では、事件に関心を持った人の6割近い人から、
「犯人の気持ちがわかる気がする」と回答があったらしい。
僕自身も、追い詰められた彼の孤独はわかる気がするのです。
さらに午後から高岡で行った、二回目の僕の読書会の参加者も、
加害者の気持ちにはわかるところがある、と言っていました。
だからと言って、彼の罪を容認することなどできないけど、
彼と同じ、心に深い孤絶を抱いて生きている人が如何に多いか、
それが一歩間違えば、どんな犯罪を起こすやもしれない点など、
現代を生きる人の不安と孤独には、わかるものがあるのです。
今回は、孤独の淵から深刻な罪を犯してしまった青年と、
それが「わからない」としか言えない、テレビの中の人たちと、
はたしてどちらが特殊な人たちで、どちらが一般庶人なのか?
「新しい生き方を探る読書会」を始めたのも、現代の常識を疑い、
マスコミ的価値観に流されず、自覚的に生きる必要を感じて、
それを多くの人たちと共有して生きたい!ためなのです。
最後の報告を兼ねた、モニター会議に出席してきました。
富山市は遠いので、最近は足が遠退いていますが、
普段から、テレビ番組には意見したいことも多いので、
聞いてくれるとあれば、行って話をしておきたい。
そんな気持ちで、チューリップテレビへ行ったのです。
今期モニター・メンバーである、7人全員が出席して、、
今まで報告書を出した、14本の番組に対する意見から、
テレビ局そのもの、あるいは番組編成に関しての提言など、
皆さん活発に、それぞれの意見を述べられていました。
僕からは番組広報の仕方や、ウエブ繋がりへの強化など、
番組の質と共に、見たいと思わせる仕掛け作りも望みました。
TBSをキー局とする、ローカルテレビ局としては、
思うように番組編成を出来ない事情や、番組作りの難しさ、
自社で作った番組の流し方まで、苦労が絶えないようでした。
そして今回、僕が初めて見た番組が多かったことを思うと、
現在、我が家で見られるテレビ局が7局あることさえ、
多すぎて、毎日どんな番組を流しているのかさえ知らない。
旧来のテレビだけでも、これだけ情報量が多い中で、
僕らは何を頼りに情報を選別して、取り込めばいいのか?
インターネットでは、自分の好きな情報ばかりを見るので、
偏った知識になりそうなところを、テレビなどの公共放送は、
膨大な情報から、要点を選別してくれるメリットはある。
だけどその選別によっては、大きな偏向も起きてしまう。
たとえば先日秋葉原で起きた、無差別殺傷事件に関しても、
テレビのコメンテーターや司会者は、みな同じように、
「加害者の行動がまったく理解できない」と嘆いていたけど、
NHKの調査では、事件に関心を持った人の6割近い人から、
「犯人の気持ちがわかる気がする」と回答があったらしい。
僕自身も、追い詰められた彼の孤独はわかる気がするのです。
さらに午後から高岡で行った、二回目の僕の読書会の参加者も、
加害者の気持ちにはわかるところがある、と言っていました。
だからと言って、彼の罪を容認することなどできないけど、
彼と同じ、心に深い孤絶を抱いて生きている人が如何に多いか、
それが一歩間違えば、どんな犯罪を起こすやもしれない点など、
現代を生きる人の不安と孤独には、わかるものがあるのです。
今回は、孤独の淵から深刻な罪を犯してしまった青年と、
それが「わからない」としか言えない、テレビの中の人たちと、
はたしてどちらが特殊な人たちで、どちらが一般庶人なのか?
「新しい生き方を探る読書会」を始めたのも、現代の常識を疑い、
マスコミ的価値観に流されず、自覚的に生きる必要を感じて、
それを多くの人たちと共有して生きたい!ためなのです。