システムと心

アースディのシンポジュウムで話された内容に、
システムと心は、社会を変える両輪だと言うのがありました。
つまり今の社会は変わらなければならないとして、
鎌仲監督は、システムを変えれば社会は変わる!と言い、
自然農指導者の石黒さんは、心が変わらなければ意味がないと発言。
その両方を受けて、コーディネーターの本田さんが、
この二つは、社会を変える要素の両輪だと纏められたのです。

そこで鎌仲さんが、もう一押しするように、
多くの人の心を変えようとしても、それは困難なので、
それを待っていては、いつまでたっても社会は変わらない!
だけどシステムを変えれば、心は自然についてくると言うのです。
これは実に微妙で、簡単には言いきれない気がします。
なぜなら、それほど優れたシステムがあるとは思われないからです。
システムを弄っているうちに、心はどこかへ置き忘れられてしまう。
これが今までの現実だったのではないでしょうか?

循環可能なエネルギーシステムの社会を作ろうとしても、
なぜか日本では、本来の主旨が骨抜きにされて経済主導になる。
そしてまた不都合が起きて、またシステムを作り直す。
こうした今ある問題を手直しし続けるだけでは、迷走状態になって、
結局いつまでたっても、持続可能な社会にはなっていかない。
そこで必要なのが、人生に何を求めるかの「心」となってくる。
これは両輪と言うよりも、ハンドルと駆動系のようなもので、
方向(心)は常に駆動系に先立って確認されている必要があるのです。

システムに先立って、我々はどこへ向かうのか合意が必要で、
今の生活を維持するには、地球4個分の資源が必要だとすれば、
地球1個で住むように、資源消費量を4分の1に減らす必要がある。
この合意が作るものが心なのに、それが見失われているから、
いつまでたっても、良いシステムなど出来ないとも言えるのです。
さらに困難な現実として、増え続ける借金の利子を払い続けるために、
この国は理想を曲げても経済成長が必要になっているのです。

循環型社会の実現よりも、借金の利子返済のためにマネーを稼げ!
この大命題に向かって、商工農業を含むあらゆる産業が縛られている。
このシステムを作りだしたものこそ、経済成長を求めた心なのです。
あらためて問うなら、我々の心はどこへ向かおうとしているのか?
スティグレールが言うように、我々とは何ものかが問われているのです。
駆動系だけが暴走する、性能を競うシステムでは破滅的なので、
まずハンドルをどこへ向かわせるかの問いが、優先される気がします。