和魂の深み

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このところ、映画「靖国」が騒がれてから、
日本人の心を表す「和魂」について考えています。
和魂と言えば、大和魂のように勇ましいものを連想しますが、
辞書を見ると「心の温和な意」として、女性に掛かります。
旧来日本文化が、女性によって育てられたことにも通じます。

さらに和魂漢才や和魂洋才と言った言葉から考えると、
学問知識を超えた、実際の事例に対する適切で総合的な判断力!
これが和魂として求められていたことは明白です。
つまり、正解や規則を守ればいいと言うものではなくて、
個々のケースに際して、縦横無尽に対応できる「何か」であり、
これを持つことが、人間として優れているとされたのです。

この「何か」を考えていたときに、生涯学習センター連携講座、
「ありがたい・もったいないの環境思想」の講義の中で、
富山国際大学の桑原宣彰教授から、気になることを聴きました。
何年か前に、南アフリカノーベル平和賞受賞者マータイさんが、
「もったいない」の考えを世界に広めたけど、彼女は、
かならずしも言葉の本意をわかっていなかった!と言うのです。

日本人の言葉「もったいない」は、経済的な節約だけでなく、
神仏貴人に対して、恐れ多い気持ちを表している。
これは身分の話ではなく、自らを謙遜する言葉だと言うのです。
たしかに、「謙遜」は卑下することではなくて一歩下がること、
人知を越えた「何か」の存在を大切に思う気持ちなのです。
これを抜きにして、「もったいない」は成り立たない。

日本は物作りの国と言われますが、それは「入魂」の思想で、
衣食住のすべてのものにも仏性がある、と考えるから、
住居にも、道具にも、器一つにも魂を込めることができる。
そしてあらゆるものに魂を見るから、大切にもする。
これが「もったいない」の本意であって、マータイさんは、
そこまでわかっていなかったのではないかと言うのです。

経済的な節約だけを見ていては、大切な「何か」を見落とす。
さらにこの「何か」を考えていたら、大相撲が見えてきました。
横綱審議会が求める、横綱の品位とはいったい何なのか?
勝負に勝つ強さと同時に求められる「品位」とは何か?
今場所の琴欧州を見ていたときに、これは強いと思いましたが、
13日目に黒星を受けた翌14日目の解説(舞の海)の言葉。

「今日のこの一番は、彼の人生を左右する勝負になるでしょう」
目に見えて強くなったはずなのに、自分の相撲を忘れて負けた日、
泣きながら悔しさを語った琴欧州は、翌日「何か」を身につけた。
最速で大関になりながら、その後は優勝争いにも絡めない年月に、
彼は思うようにならない限界を感じていたことでしょう。
それを払拭した彼が身につけたものは、何だったのか?

さらに千秋楽での横綱対決で、潔くなかった両横綱に何を見るか?
相撲道、柔道、弓道、茶道、そのほか「道」に求められるもの。
これも、強さ以上、技術以上のものが求められているから、
命懸けの格闘もお茶の味わい方も、同じ「道」になるのです。
そこにあるのは、具体的な人間の行いに姿を宿す「魂」であり、
その繋がりを最上のものとして尊ぶのが「和魂」ではないか。

ここに至って、ようやく少し「何か」がわかった気になり、
さらにこの何かは、どこにも留まるものではないが故に、
日々刻々、思い続けることでした身につかないと知るのです。
しかしまた、和魂の道に通じれば、もう恐れるものはなく、
日々安心立命の生活も、また可能なのかもしれません。



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