「六ヶ所村通信 №4」

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2006年5月に開催した北陸平和映画祭において、
映画「六ヶ所村ラプソディー」を前夜祭上映すると同時に、
鎌仲監督にも来ていただいて、お話もしていただきました。
あれから2年が過ぎて、再処理工場はどうなったのか?

膨大な予算を正当化するため、昨年度末ぎりぎりに稼動して、
問題だらけだからすぐに停止したまま、今度は未解決のまま、
今月5月には、見切りで再稼働すると発表されていました。
現場では何が起きているのか、気になっていたのです。
そこへ、「六ヶ所村通信 №4」が出ると聞いたので、
さっそく取り寄せて、見せていただきました。

さすが監督の手法は、問題の浮き上がらせ方がいいですね!
この二年間に、危機感を持った若い人たちが動き始めている。
そんなサーファーグループと共に、湘南から青森へ向かう。
彼らが旅の途中で出会う人たちとの、さりげない会話の中で、
一般の大人たちが、行政の説明を信じているのを聞く。
放射能被害よりも、その風評被害を心配する声まである。

だけど再処理工場の現実は、そんな楽観的なものではない。
その現実をひしひしと感じている、漁業組合との対話や、
農業をする苫米地さんの、深い戸惑いが写し出される。
せっかく作る農産物が、放射能で汚染されるならば、
それを売ることに、罪悪感を感じ始めているのです。
売れる売れないではない、売っていいのか?悩むのです。

その迷いをどうすればいいかわからず、奈良へ行って、
自然農の指導者である、川口由一さんに問い掛けます。
彼は、被害は農者ではなく政治家も含む全員が受けること、
そうした汚染は、命のフィルターで拭うしかないと言う。
僕らはこの先何代にも渡る命をもって、汚染を浄化する?
そんなことがどうして許されてしまっているのか?

放射能汚染に抗議する人たちに対して、お役所は、
かならず専門家の安全宣言を掲げて大丈夫だと言うけど、
その根拠がいかに希薄なものであるか、暴かれていく。
それも監督が暴くのではなく、登場人物が問い暴く。
このあたりは、実に見事に編集されている気がしました。
この通信は、もう立派なドキュメンタリーですね!

さて、原子力利用を国のエネルギー政策と決めた行政は、
ダムや道路がそうだったように、ひたすら前に突き進みます。
川田議員は、法律で暴走する政策は法律で止めるしかない!
と言いますが、とうめんそれは叶うとも思われない。
納得できない若者たちは、「あしたの森」の植林に参加する。
「植林で森が変わるのではなく、人が変わるのだ」と言う。

反対する人ばかりではなく、賛成する人の意見出てきます。
この再処理工場のおかげで、働く場所があることを喜ぶ人、
事故で死ぬか病気で死ぬか、どうせ死ぬんだからと開き直る人。
このフィルム自体は、偏った誘導は一切していないのですが、
放射能の不安から行動する若者には、新しい視点がある。
彼らは皆、自分の事として再処理工場の意味を考え始めている。

賛成派の人は、事故が起こらなければいいじゃないかと言う。
それは実は、戦争したって勝てばいいと言う理屈に通じている。
僕らは自分たちの生き方として、戦争自体を拒むのです。
勝てばいいのではなく、誰かの命を苦痛に晒すことを拒むのです。
同じように、放射能汚染の危険を冒してまで電力は要らない。
僕らは将来の命を、危険に晒さない生き方を望んでいるのです。

見終わった興奮が冷めやらず、長々と書いてしまいましたが、
この「六ヶ所村通信」のDVDは、一枚1500円で購入できます。
この記事には書ききれない、多くの事が集約編集されていますので、
皆さんも買って、あるいは上映会を開いて、ご覧になってください。


六ヶ所村通信」の情報は、(↓)こちらから。
http://www.rokkasho-rhapsody.com/index2