「地域社会、自然と生きる」

高岡市生涯学習センター連携、富山国際大学公開講座で、
「地域社会、自然と生きる」5回シリーズの第一回、
現代社会学部学部長、北野孝一さんの話を聞きに行きました。
今回の題は「越中・富山の地域と環境について」というもので、
初回に相応しく、富山県の持つ魅力を網羅して説明されました。

暖かみのある大きな声で話される様子は、それ自体に親しみがあり、
話の内容も多岐に渡って、脱線されるのがさらに面白いので、
参加者の中には、おもわず受け答えされる人が何人かいました。
そんな和気藹々とした雰囲気の中で、内容も良かったですよ!

まずザッと挙げられた富山県の特徴として、
歴史的に河川の氾濫を中心とした災害が多かったので、
長いあいだ官学志向が強く、今もその傾向が残っている。
そのために、
○国公立の大学へ進学することを良しとする教育傾向が強い。
○親の価値観に合わせられずに出たまま帰ってこない若者が多い。
こうして日本でも有数の人口比率の高齢化が進んでいる。

これは私学である富山国際大学の嘆きでもあるわけですが、
たとえば(行政)と(企業)によって成り立っていた社会が、
そのままでは立ち行かなくなって、21世紀スタイルとしては、
(NOP)や(市民団体)が、社会に必要不可欠になっているのに、
こうした活動をする人々を育てる教育が、富山県には極端に少ない。
として、NPOなどのマネジメントをする教科の必要性、
彼の大学にはそれがあるのに、高校で勧めてもらえない現状、
特に県内学生が少ないことなどを挙げられていました。

確かに富山県の多くの人は、いまだに旧帝大系の大学を良しとし、
何を学んでいるかよりも、大学の名前で人を判断する傾向があります。
おかげで、先進の考え方を持つ人は、富山には帰ってこない。
そのために、富山県の政治はひどく遅れているとの指摘でした。
具体的な例として、旧大山町でISOを取って改革しようとしたのが、
次の選挙で負けてしまって、後戻りしてしまったこと。
また旧小杉町で市民との協働による行政が始まろうとしていたのが、
合併によって、またもとの官僚主導に戻ってしまったこと。

富山県では、市民が民主主義の足を引っ張って前に進めないのです。
どうしてこうなるかは、県内の中高年の人たちが豊かだからでもある。
彼らは戦後の苦労から、ここまでモノに溢れた豊かな社会になって、
これを変えなくてはならないとは、なかなか思えないのでしょう。
だけど時代は変わり、現状の社会はもう続かなくなったのです。
かれらはこの事実がわからないで、旧体制に固執するあまり、
結果として、子どもたちの未来を奪おうとしているのかも知れません。

おっと、話を聞いているうちに、自分で考えたことも混同して、
どこまでが北野さんの話で、どこからが僕の考えかわかりません。
でもすべては、講義を聴くうちに考えたことなので、いいですね。

もちろん、こんな話ばかりされていたわけじゃなくて、
富山県の自然風土が持つ、埋没林、深層水、伏流水、積雪の価値、
あるいはホタルイカ、蜃気楼、雪の大谷、合掌造り、恐竜の足跡化石、
チューリップが名産になった理由や、岐阜と富山の世界遺産比較とか、
興味深い話が次々と出てきて、その広がりの多様さにも驚きました。
さらには富山の農業が、高額な農機具の購入返済に追われていることや、
北海道、富山、沖縄が、自然度が高いと言うのも興味深い話でした。

総じて彼の話は、富山県は水や緑の豊かさに価値があるとするもので、
これは僕も同意見なので、この記事にも僕の私見が混ざったのです。
となみ野の散居村に見られる田園風景や、浄土真宗の土徳に見られる、
おだやかで遠慮深い人々の心根などこそ、何にもまさる価値なのですが、
それを守るには、今までと同じことをやっていてはダメなのです。
新しい時代に向けて、これから生まれてくる子どもたちのために、
車道路や高速交通網より、山里の自然を守る地域の自立が大切です!