普通の家族

まだ学生の頃、日本の結婚制度に疑問を持って、
ディラックの海辺にて」と言う小説に書きました。
当時感じていた、社会の価値観に対する様々な疑問は、
いま読み返しても、あまり大きくは変わっていません。
その中で、結婚制度は社会体制を補完するものとして捉え、
日本での結婚や子育ては、自由を失うことだと結論づけて、
子供を持とうとする人は減るだろうと予測しました。

それから過ぎ去る年月を、僕は比較的自由に生きて、
何度か結婚を望んだことはあるのに、独身のままでした。
いつも最後には、拘束されずに自由に生きたい気持ちが、
家族的な安らぎよりも優先して思えたからかも知れません。
僕の中にある、自分を生きることしかできない性格が、
誰と一緒に暮らしてみても、相手を傷つけると知って、
家族を作って暮らすことは望まないことにしたとも言える。
そうでない関係だって、いろいろとありますからね。

この数年、男女平等推進センターに関わるようになって、
僕が学生時代に感じていたことが、本質的には変わらずに、
様々な男女平等への活動が起きていることを知りました。
僕個人の内面的な変化から言うと、そうした改善なんかは、
政府や体制に要求するよりも、自分で実現すればいい、
さっさと実行すればいいだけだ、と思うようになりました。
世界には多くの価値観があって、様々な生き方があるのです。

日本の今の法律は、一夫一婦制の男系社会が前提ですが、
世界には違う法律や慣習があり、日本も昔は違っていました。
むしろ母系家族が長く続いていたようにも見受けられます。
また人間社会と動物社会は、多く互換性を持つものですが、
草原のある猫科動物は、交尾期以外は一緒には暮らしません。
オスとメスは、距離を保ちながら同じテリトリーに暮らし、
狩りや縄張りを守るような、必要なときだけ協力します。
そして時々メスは、子どもをぶら下げてオスに見せに来る。

これだって、十分に家族の形だろうと思っています。
日本の子育ては、今も多く男性の収入に頼っていますが、
社会全体が子どもの面倒を見るような社会になれば、
もっと自由な男女の関係が広まり、家族の在り方も変わる。
それはピラミッド型の官僚国家にとって、困ることだから、
家族は法律によって、男系一夫一婦制だと決めてあります。
この普通は、自然な愛情とは無関係なものでしょう。