エコ・フィロソフィア

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図書館に置いてあった雑誌「サステナ」の第5号を見ていたら、
「エコ・フィロソフィアが目指すもの」と題した座談会が載っていました。
東洋大学の哲学や社会学の教授たちが、エコ・フィロソフィアとは何か?
それぞれの人の考えで、意見交換をしているわけですが、この中で、
竹村牧男教授(東洋大学・仏教学)の発言に惹かれるものがありました。

「未来の世代を考えたとき、地球環境問題では我々誰もが見知らぬ他者への、
 加害者にならざるを得ないので、自己の存在の在り方が根本的に問われる。
 サスティナビリティの問題の本質は、環境問題と言うよりも他者問題で、
 そこに他者の他者としての自己を掘り下げる深い哲学が求められる。」

こうした立場から、共生を目指しつつサスティナビリティを考えていく思想。
この思想を名付けて「エコ・フィロソフィア」にした!と言うことのようです。
言葉の定義としては、エコは、ギリシャ語の「オイコス」から出た「生命圏」
のような意味合いで、ここでは地球・社会・人間を支えるシステムの思想を言う。

こうして多くの人たちが、今までの欲望開放的な経済拡大を戒めるのですが、
環境倫理のように、全体がどうあるべきかを考えて人を律しようとしても、
それは自発的ではないから、他人事になって、実が上がらない!と指摘します。
この無力感を克服して、内発的に自分にとっての価値観として自覚するには?
竹村教授は、江戸時代のような昔に戻るのではない、新しい考え方を提唱される。

「自己とは閉じた心身として存在しているものなのか、それとも環境と交流する
 ことの中で存在しているものなのか? このときどんな世界が見えてくるか?」

こう問い掛けて、自己は他者や環境から隔たって自己なのではなく、むしろ、
一体混然となった状態で自覚することが、新しい哲学になるとしているのです。
個々人のそうした自覚なくしては、単なる規律の押しつけでは出来そうもない、
そうした困難の中にこそ、未来に求められる思想が生まれると言うことでしょう。

この「サステナ」を発行している、サスティナビリティ学連携研究機構とは、
東京大学京都大学大阪大学北海道大学茨城大学の5大学が中心となり、
東洋大学、国立環境研究所、東北大学千葉大学の協力大学と連携して、
サスティナビリティ学分野における、ネットワーク型研究拠点を構築する。
いかにも学術権威的な紹介ですが、内容自体は悪くなさそうです。

写真は平野で撮った、スダレチョウチョウウオです。


竹村牧男の「共生のかたち―(共生学)の構築をめざして」は(↓)こちら。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4414120535?ie=UTF8&tag=isobehon-22