無責任役人と隠蔽体質のお国柄?

イメージ 1

いまさら驚くよりも、どうせそんなことだろう!
と受け止めざるを得ないのが、なんとも悲しいのですが、
最近のニュースは、日本の隠蔽体質の展覧会です。

厚生労働省の薬害リストの隠蔽と、その認識の無責任さ。
防衛省のトップによる勝手な判断や、業者との癒着。
どうせお役所仕事だから、そんなものかと思っていたら、
老舗の食品メーカーでも次々と隠蔽が露見している。

政治のトップ、行政のトップ、経済界のトップたちの、
こうした現状とその言い訳集を作って教科書にすれば、
さぞかし優秀な日本の後継人材が育つことでしょう。

お役所だけとは限らない、このお役所的な日本の姿は、
実は今に始まったことではない、根の深い問題です。
この国民性を考えさせられる事例は、歴史的にもあって、
その典型が、戦後の日本人による犯罪証拠隠滅でした。

ドイツでは戦時中の記録がしっかり残っていたので、
戦後はその記録に従って、多くの戦争犯罪が裁かれている。
この事実によって、再び戦争をしない信用を築いてきた。

ところが日本は、敗戦直前にあらゆる場所で資料が燃され、
誰がどのような犯罪を行ったか、明確な資料が何もない。
だからいつまでたっても、戦争犯罪人が生き延びている。
さらには、そうした人々が今もこの国の中枢にいたりする。

まるで中世封建時代の「寄らしめず、知らしめず」が、
亡霊どころか現役で、様々な公文書を闊歩しているのです。
まず知ること、公開すること、民主主義はそこから始まる。

しかしねえ、こうした体質はお役所内だけのことではなく、
あらゆる公共事業体や企業にまではびこっているので、
簡単に無くならないことは、ウンザリするほど知っている。
都合が悪いことは、みんなで無かったことにするのですよ!