第三の記憶

今日は母の十三回忌を営みます。
母は雨に在る人なので、
昨日からずっと小雨が降り続いています。

早朝のまだ薄明前の闇の中で、
はっきりと思い出せる夢を見ました。

通りを歩いていた僕は、
ふと何かの存在に気付きます。
目の前にある見えない何かに気付いて、
じっとそこを見ていたら、
急にひとりの男が見えてきました。

僕は見えない人が見えるようになったと思い、
思わずその人に頬笑みかけて挨拶しました。
「あなたは見えない人ですよね、
  でも僕には見えるようになりました」

でもその人は何でもない風をして、
「おや、何のことでしょうか」
と澄まして通り過ぎようとします。

そこへ前方から別の人がやってきましたので、
「あの人はあなたが見えないはずです」
と言おうとしましたら、
その婦人は見えない人に向かって挨拶しました。

どうやら婦人には男が見えていたのです。
僕が呆気にとられてその場に佇んでいたら、
今度は男と婦人を含めた三人連れがやって来ました。

その人たちはさっき見た人と同じに見えました。
僕を知っているかのように挨拶しました。
そして僕は気付いたのです。
刻一刻生成され続ける記憶のことを。

一般的に記憶とは個人のことですが、
人間を生命体と考えた時にはDNAの記憶があり、
これを潜在記憶と考えることが出来ます。

ところが記憶にはもう一つ、
個人のものでもなければDNAにもない、
集合的に生成され続ける第三の記憶がある。
それを確認させてくれたのはスティグレールでした。

もっとも一度知ってしまえば、
同じような話は孫悟空にさえ出てきますので、
筋斗雲でどこまで行ってもお釈迦様の手の中です。
そこから飛び出す唯一の道が知ることです。

自分が手の中にあることを知ることは、
手の外の世界に気付くことですから、
もう見えなかったものが見えているってことです。

ここで獲得される記憶は留まることなく、
刻一刻と生成されながら共有もされていくから、
僕らは常に新しい文化の可能性を持っている。

再生とかリローデッドと呼ばれるのは、
この第三の記憶に関わることだと気付くのです。

ああ、夜が明けてきましたね。