いろごのみ

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今日は源氏物語の勉強会があったので、谷口先生のお宅へ行ってきました。
そこでひとしきり話題になったのが、来年が源氏物語一千年となる話でした。
これは、物語の書かれた正確な年月はわかってはいないながらも、
紫式部日記において、1008年の11月1日にその記述が出てくるからで、
来年2008年の11月1日をもって、満千年とする考え方によるものです。

たぶん来年には多くの記念行事が行われるでしょうが、すでに先日も、
NHKの日曜フォーラムにおいて「一千年目の源氏物語」がありまして、
岡野弘彦丸谷才一大岡信加賀美幸子などが話をされていました。
その中で特に二つばかり、心に残ったことを書き留めておこうと思います。

一つは「いろごのみ」の言葉が本来持つ、文化的な背景でありまして、
紫式部が活躍した時代背景として、男は漢文化の素養を持つことを求められ、
女は古来からの大和文化を継承することを、求められていたようなのですね。
そうすると、この「いろごのみ」は漢字を当てた「好色」ではなくて、
古く神話の時代からある「いろ=理想的な異性」と「このむ=選び取る」
から意味を考える必要が出てくると言う、岡野弘彦さんの話です。

そもそも日本の神々の中で、もっとも位の高い天照大神は女性の神として、
日本書紀にも古事記にも伝えているわけですから、まずその女神が、
優れた男を選ぶのが「いろごのみ」の初めだと考えられるわけなのです。
大陸から、儒教文化、仏教文化などの新しい文化が入ってくるにしたがい、
日本文化にもそのような影響が出てきますが、本来は女性文化なのだと。
それは田を営んで稲をつくっている、機を織って神に着せる布を織っている、
神に司る巫女としての女性文化が、日本文化の原型だと言うことでしょう。

こうしてみると、源氏物語の世界は男尊女卑もなく、封建的とも言えない。
もっと古来からの、女性が中心になって男性をもり立てて作る社会が、
そのまま描かれている、やはり世界文学史上でも希な作品なのでしょう。

今日二つ目として書き留めたいのは、昭和期になっての源氏物語再評価です。
フランス文学の「失われた時を求めて」がヨーロッパで認められるに従って、
同じ感性を持つ文学が、すでに日本にあったことが大きな話題となったこと。
それを受けて、中央公論社谷崎潤一郎に現代語訳を依頼したことで、
国内でも一気に源氏物語がブームになったと、これは丸谷才一さんの話です。

僕などは学生時代に、谷崎潤一郎の作品が好きになったこともあって、
そこからようやく源氏物語にも関心を持つようになった奥手ですが、
今ではこうして、原文で朗読して読み解く会に参加もしている次第なのです。
さらには夢のまた夢として、この和心を描くような作品も書いてみたいと、
無謀にも、この年にしてまだ本気で思い続けたりしているのです。
男女平等などと野暮な話ではなく、母系があたりまえの文化をもって、
人間が生きるうえでの豊かさを見つめなおしてみたいと言うことでしょうか。

男性中心、合理化優先、成績重視の歪んだ現代社会を解きほぐせるのは、
こうした日本古来の、母系中心の命をそのまま受け入れる文化だと思うのです。
源氏物語一千年の来年は、そうした文化の転換期になることを期待しています。


岡野弘彦さんの「国境を越えた源氏物語」は(↓)こちらから。
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