「自立」と「共生」

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このところ、連日のようにEフェスタのワークショップがあって、
その合間を縫って、「朗読の会・言の葉」「学びのリーダー育成講座」
田中優さん講演会」「砺波学講座」そして農作業があるのですが、
たまたま疲れて図書館で休んでいた時に、面白い記事を読みました。
「サステナ」と言う名の、環境省から出ている雑誌の中の特集記事です。

建築家の黒川紀章さんがインタビューに答えて、
今使われている「共生」って言葉の意味は、彼が最初に使ったもので、
男と女にしろ、まったく相容れない違う個性を持つ複数のものが、
違う相手の価値を認めあって一緒に生きていくのが共生だと言っています。
ここで大切なのは、相手に自分と同じ価値観を持つことを求めるのではなく、
違う価値観をそのまま認めて、同等に取り扱うことに意味があるんですね。

これは実はとても難しいことで、様々な場面で意見交換していても、
多くの場合は、自分の意見を相手にわかってもらおうとするあまりに、
相手の意見を聞いていないか、自分の都合のいいように理解してしまう。
そして仏教の錫杖でもしているかのように、議論の勝ち負けを求めてしまう。
これでは、言い負けたり、遠慮して自分の考えを出さない人が出てくるので、
結局は意見交換になっていない、ってことが起きたりします。

そこで出てくるのが、「ファシリテーター」の考え方なんですね。
黒川さんの記事を読んだあと、リーダー育成セミナーに参加した折りに、
講師の永田円了さんが、ファシリテーターとは何かを話されたのですが、
そこで Facilitator とは、 “人の可能性を信じ”
            “人の考え方の違いに寛容的であり”
          “自分が意見を述べるよりも聞き手になり”
        “混沌の中にあっても、平静に物事を進めていく”
      “ソクラテス型スタンスをとる”ことのできる人のことである。
                       と教えられました。

こうした態度が求められると言うことは、多くの人が共生を求め始めて、
自分と同じように、違う価値観の他者も認める時代になってきたってことです。
これは、何か問題が起きると強いリーダーシップで解決して欲しいと願う、
行動は他人任せで、自分は文句だけを言う人に多い価値観とは対極のものです。
むしろ現代では「強いリーダーシップを取らずに自分で行動する人」が求められ、
その具体的な行動を通して、次のステップを模索していく時代なのです。

強いリーダーシップに頼らずに、自分の判断で行動できる個々人!
これこそ自立した人だろうと思うから、僕は個人の精神的な自立を促すのです。
福田さんがいかに頼りなく見えようとも、強いリーダーシップの首相は要らない。
これが最近の政界のドタバタ騒ぎから感じ取ったことだと言えるでしょう。

写真は、リーダー育成講座での永田円了さんです。


「自立と共生―地球時代を生きる」(槌田 劭)は(↓)こちら。
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