消えゆく砺波人気質

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性懲りもなく、また一つ「人間探究講座」を受けることになりました。
となみ野の恵みと災いを、砺波学として捉え直そうとする講座です。
その一回目の講座として、千秋謙治さんの「砺波人気質を探る」を、
となみ野高校内にある、生涯学習・砺波地区センターで聞いてきました。

彼は砺波人の性質として、まず過去の特徴的な資料を選び出して、
1721年→1846年にかけて、余所より人口が増加したことをあげ、
これは「間引きの風習がなかった」ことによる、と分析しています。
また浄土真宗の寺と一緒に、売薬地域を広げていったことにも注目して、
正直者として、忍耐強く、よく働く、信用を得ていたことを指摘します。

さらには、明治期の北海道への移住が、集団移住を中心としており、
寺や神社まで持っていく、集落移住が特徴だったと分析されます。
こうした気質によって信用を得て、赤ん坊を間引きをしなくてもいい、
余剰人口は各地へ移住して、生活することが可能だったというわけです。

その結果は、となみ野では驚くほど治安が安定した社会を築きました。
明治9年7月~10年6月までの一年間に起きた強盗件数と検挙件数は、
(人口1万人あたり強盗にあった戸数と逮捕された博徒人人数)によると、
神奈川、群馬、東京、大阪など多い地域では、40~50件もあるのに、
福井、石川、富山では、事件も逮捕者も、ほとんど0に近いのです。

こうした風土によって、僕も根元的に人を信じているのかもしれません。
砺波平野では、家の戸締まりする人はいなかったし、必要もなかったのです。
それゆえに、一戸ずつ独立した散居村なんかも可能だったわけなのです。
ところが、こうした砺波人気質も、最近では怪しくなってきているようで、
警察はしきりに戸締まりをするように、広報活動をしています。
どうやらその理由は、高速交通網の整備による、人の移動にあるとのこと。

これを聞けば尚更のこと、新幹線も高速道路も必要ないと思っている僕は、
さらに治安の不安定まで招くこうした高速交通網が、莫大な借金までして、
どうして必要と言うことになっているのか、まるで理解できないのです。
数年後には、となみ野も one of 高速インターの周辺地になるのでしょうか?


千秋謙治さんの「礪波・小矢部今昔写真帖」は(↓)こちらから。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4876635803?ie=UTF8&tag=isobehon-22