終わらない夏!

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9月も下旬になるのに、暑い日が続いています。
二酸化炭素による地球温暖化はもちろん問題ですが、
この暑さは、高エネルギー消費社会の象徴でもありそうです。
今年は特に能登原発柏崎原発での地震遭遇などがあって、
電力会社は夏のピークに節電を呼びかけていましたが、
このエネルギーの大量消費は、止めようとは呼びかけない。
つまりおカネ経済が増えれば社会が豊かになると言う幻想から、
抜けられない、貧弱な考えの人が多いからでしょうか。

いったい何故?経済は膨張しなければいけないのか?
それが多くの人々に、より幸せをもたらすためと思うなら、
膨大に資産の増えた人類世界は、どれほど幸せになったのか?
問題は富の偏在だというなら、その解決策はなぜ出ないのか?
僕にはどうしても、おカネのシステムに問題があると思われ、
おカネ量でしか豊かさを計らない社会にも問題があると考えます。
そうした合理化が行き着くところは、価値の専制管理であって、
管理された価値観は、当然管理された偏在を生みだすのだから、
そこから抜け出すには、おカネに頼りすぎない社会が必要だと、
やっぱり、どうしても考えてしまうのです。

それでは、こうした価値観の多様性は何故一般化しないのか?
一つには教育において、多様な価値観の共生と言った観点が無く、
有名大学へ行く為に、テストで高得点を取らせるのが教育だと、
本気でそのような貧しい考えが蔓延していることも要因でしょう。
あるいは、おカネさえあれば高価な買い物をして幸せになれると、
暗黙のうちに信じ込ませるコマーシャリズムも問題を助長している。
さらにはジャーナリズムや学問までが、真実の探求よりも、
より売れることを目指して競い始めているのですから、
現代社会でおカネの問題を客観的に捉えるのは難しいのです。

数日前、まちづくりに関する高岡市長との話し合いがあったとき、
新高岡駅が出来るまでに整備される、道路網の話がありました。
そもそもどうして新幹線が必要なのか、僕は納得していませんが、
多くの人は高速道路や新幹線で経済が潤うと期待しています。
だけどそれによって、日常の生活圏に不安定要素が増え、
それぞれの地域での文化的要素の熟成は、さらに難しくなって、
同じ地域に生活しながら、暮らしを共有できない孤独人が増える。
こうした問題に対する配慮は、どこかに置き去りにされています。
周囲に高速移動手段が増えれば増えるほど、不安定要素は増える、
こんな当たり前のことが、まったく考慮されていないのです。

しかも、遅くとも10年後までには、オイルピークを迎えて、
好きなだけ車で走り回る社会は、もう立ち行かない可能性が高い。
そんなときになって、立派な道路網と大量の借金が残されたら、
子どもたちはそれを、いったい何だと思うでしょうか?
永続可能な社会をといいながら、高エネルギー消費を止めない。
そんな都合のいいことが、続くと本気で思っているのでしょうか?
温暖化を防ぐには、高エネルギー消費を改め、人間の幸せに、
何が必要なのかを、改めて哲学から考え直す必要があるのです。

あまりにも暑い、夏の終わらない彼岸の入りを迎えて、
もう何もやる気が失せそうになる気持ちを、もう一度鼓舞して、
せっかく楽しく過ごさせてもらった、自分の人生の感謝として、
今少し、これから生まれてくる人たちのために何かしておきたい!
そんなことを考えながら、またパソコンに向かうのです。
軍隊や原発に管理された他人任せの無気力な安全ではなく、
食とエネルギーを自立する地域による自主的な社会を目指すのです。

今日の写真は、ようやくそろい始めた8種古代米の稲穂です。
素数の少ない携帯の写真なので、あまり写りは良くないけど、
実際に田んぼの前に立つと、なんとも言えない命の連帯を感じます。
命をいただいて、命を育て、また新しい命を産み、また命を育てる♪
この人生に必要なのは、自然を大切にしてその恵みを受け取り、
足りないところを助け合う、思いやりの心でしょう!
決して、人を追いやって良い成績を得ることではないはずです。