久松さんから

NHKの終戦記念日特集番組に関する僕の感想は、
16日の記事に書いておきましたが、この番組には、
フィロソフィアで同席している久松さんが出席されており、
彼から、参加しての感想が寄せられていましたので、
ここに本人の許可を得て転載、紹介させていただきます。

スタジオでの舞台裏や、その前後のことも書いてありますので、
これを読むことで、番組と議論の理解にも役立つと思います。

(以下転載)
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期待してくれた人が多いのに、どうも冴えなくて、ごめんなさ
い。東京には、大分早く着いたのですが、ものすごい暑さで、
原宿からNHKまで歩いただけで、もうぐったりしてしまいま
した。いろいろ、ワシントン・コンセンサスの内容や1994
年のアメリカの軍需産業の会長、ウイリアム・ペリーの北朝鮮
の核疑惑を煽っての日米新ガイドラインの工作の資料などもっ
ていったのですが、資料を上げての議論は、しないでくれ、個
人名はあげないでくれと言われ、メモも筆記用具も持ち込み不
可でした。もっと鋭く色々指摘しようと思ったのですが、改憲
派の人たちの議論を聞いているうちに、少し疲れていたことも
あったせいか、改憲派も凄い女性もいるもんだ、と唖然として
、反論する気も失せてしまいました。僕の隣に座っていた韓国
のチャンさんと少し話したのですが、は、どうして日本は 、
平和主義を放棄したいのか分からないのと、ちょっと怖いなと
思った、と言っていました。色々な重要なことも言うつもりだ
ったのですが、まったく精彩がなく、皆さんも、まったく物足
りなかったと思います。ゴメンナサイ。それでも渡辺さんや、
斉藤さんが、理路を尽くして言ってくれたので、もう僕が、言
わなくていいか、などと思って任せてしまいました。あまり人
とも話さなかったので、休憩中にNHKの女性のディレクター
の人が、やって来て、久松さんはちょっと内向しているから、
もう少し元気よく反論してくれませんか、と言われたのですが
、あまりあがっていなかったのですが、全然ボルテージも上が
りませんでした。やはりテレビってものは、いやなものものだ
な、というのが感想でした。
番組が終わってから、これではちゃんとした話もできない、と
護憲派の年配の人が怒って、三宅アナウンサーに抗議していま
した。番組が終わって米田さんと沖縄の方と話しながら、ホテ
ルに帰ってきました。沖縄の人は、体験は言葉では、伝わらな
いんだよ、と嘆いていました。女性史の研究者の米田さんは、
私はいつも9条というものを未来の視点からみようしているの
よ、と言っていました。お二人のお話を同感しながら、聞いて
いました。あまりしゃべらなかったのに、何か矢鱈に疲れた一
日でした。

今日は、日本山の加藤上人と一緒に、高田馬場ピースボート
に行って、来年の世界9条会議の事務局会議に出てきました。
そしたら、NHKでお会いした笹本弁護士とまた会ってしまい
ました。また一ツ橋大学の足羽教授や浅見教授とお会いして、
改憲派」は酷かったですね。護憲派のほうは節度があって、
あれでよかったのではないですか、などと言ってくれましたが
、僕としては、もっと言わなければならないことがあったのに
とちょっと後悔しています。
それに、カードをあげたとき、相沢さんや沖縄の人が、自衛隊
はなくすべきだ、というカードをあげていたのに、僕は、2番
自衛隊はそのままでよい、というカードをあげました。その
ことにについて、ちょっと弁明しておきます。
僕の判断では、確かに軍隊は、民衆を守ってくれない、という
沖縄の人や相沢さんが言っていたことは本当だと思いますが、
もし自衛隊をなくすべきと主張したら、まったく心の準備がで
きていない人が多い現時点では、返って反動を呼ぶのではない
か、と思いました。
それに自衛隊=軍隊と簡単に同定するのは、よくないように思
いました。軍備ややってることはまさに軍隊には違いないので
すが、自衛隊には、軍隊としての法的整備がなく、戦闘で人を
殺しても刑法で裁かれ、また勲章や軍法会議もなく、敵前逃亡
しても軍法会議に裁かれることはありません。
その意味では、いかに重装備にあろうとも、その武器を使用す
ことができない状態にあり、僕にはこれはとても重要なことで
自衛隊は、非常に特殊な軍隊であり、装備はれっきとした軍
隊で認容しがたいのですが、法的には自衛権の範囲にあるよう
に思えました。勿論こんなものは、長期的に見れば、なくした
方がいいに決まっているのですが、ロシアや中国が「核」を持
つ中で、日本人全員が脱俗の人で、軍隊は民衆を守らないとい
う認識に達しているならば可能かもしれませんが、日本だけ無
防備でいる不安に大抵の人は、耐えることができないだろう、
と思えたので、2番のカードを挙げました。2番のカードを挙
げながら、そんなことを考えていました。単純馬鹿な「改憲派
」はさておき、小林よしのり小林節などは、今「改憲」する
ことに危惧を抱いているようです。ところで小林よしのりの論
法ですが、僕は、ほかの改憲派の自己保存の論理とは違ってい
て、それだけに「誤った無私」への傾きを感じて、ちょっと危
険な誘惑的なものを感じました。特に彼は、「いのちより重い
ものがある」と言って、軍隊とガンジーのサッティア・グラー
ハ運動を一緒くたにしています。彼には、「信念」の質はどう
でもいいようです。彼もまた「生きていることの不思議」を感
じられなくなっていて、「生」に価値を見出せていないのだな
、と思いました。彼もまた、物事の量的な側面ばかりが強調さ
れる近代のニヒリズムの落とし子だと思いました。「いのち」
感の広がりの中で、結果的にはガンジーのような運動になるこ
ともあるかと思いますが、それは決して「いのちより重いもの
がある」というものではないと思います。彼の論法で行けば、
生きることを熱望し、しかしどうしても生きていけない状況で
自爆テロをせざるえないパレスチナの老女の死も皇国思想に
かぶれて侵略戦争をして戦場で死んでいった兵士の死も区別が
つかないでしょう。勿論どちらの死も悲しいものには違いあり
ませんが、何か根本的に違うものも感じています。生に対して
順行に考えているか、逆行に考えているかは、僕にはものすご
く大きな問題ですが、競争社会の現代では
「生」に対して倒錯した意見のほうが、説得的に思えてしまう
みたいです。いろいろな宗教で説いている「無私」は、いつだ
って「いのち」と結びついていたと思います。でもこれは、と
ても微妙な問題をはらんでいると思います。とてもテレビショ
ーなどのディベート向きなテーマではないように思えます。昔
、鎌倉に住んでいたとき、ある禅寺の住職は、毎週自衛隊員に
禅を教えに行っていました。僕は、それを知って嫌な感じを持
ちました。仏教の八正道は、どこに行ってしまったのだろう、
とも思いました。「国家」が、代用宗教の働きをするときには
、「いのち」は「国家」に仕えるものになってしまうことだっ
て、十分ありえます。9条は、それを禁じているのだ、と僕は
思っています。小林よしのりは、僕より若いけれど、ものすご
アナクロな国家観も持っているように思いました。やはりぼ
くは、生よりも死を重く見る思想は、よくないと思っています
。でも生きがたい現代で自殺してしまう人にかなり同情的で
はありますが・・・。帰りの電車で、飛び込み事故がありまし
た。とても悲しいことと思います。
ともあれ、初めてテレビに出てみて、番組の組み立ての中で、
すでに出るべき意見というものが、条件つけられしまって、う
まく意見いえなかったのが、残念でした。
   
                  久松拝
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以上転載でした。