“働き方”と“生き方”

志貴野高校で受けている「世界の国々」は面白いです。
今はヨーロッパの国々を紹介してもらっているけど、
特にイタリアの南部と北部の特徴を示された中で、
経済成長中心に数字でものごとを判断する北部に対して、
家族やゆったりした生活を大切にする南部の暮らしぶりが、
先のフランス大統領選挙にもダブって見えました。

先日の市民活動・入門講座で、まみあなの満理さんから、
ドイツでは同じ労働でも、二種類があると聞きました。
生き甲斐としてのベルーフと、おカネを稼ぐアルバイトで、
これらを総合して考えれば、西欧の価値観が見えてくる。
つまりお金経済と拮抗するだけの生き方重視があるわけです。
しかもそれが政治の場に登場するところが西欧なのでしょう。

日本の政治では、おカネと数字の合理化ばかりがもてはやされ、
その割には驚くべきずさんな管理で、大赤字を抱えていますが、
その理由は、政治がおカネ経済と癒着しすぎているからです。
いわば政治がアルバイト化して、これではいけないからと、
ベルーフ的な考えを持ち出すと、こんどは再軍備だと言い出す。
この政治の貧困さこそ、世界に無視される日本の正体でしょう。

働くことも生きることも、人間として大切なことですが、
日本では西欧のような個々人の人権や自由の意識が薄いのです。
だから、せっせとおカネを稼ぐことだけがもてはやされて、
お金経済から離れて自由に生きようとすると疎外される。
おカネを稼がない人間は価値がないと見なされるのも、
こうしたお金以外の生活感の貧しさから来ているのでしょう。

だけどこれは政治が貧しいだけであって、人々はそうでもない。
どんな時代にも、しぶとく自分を生きている人はいるし、
そうした中から、何代も続く老舗企業なども生き延びています。
会社の利益か、社会の利益か、どちらかを選択するときには、
老舗は常に社会の利益を優先して考えてきたってところに、
この国の経済の豊かさと政治の貧しさが現れている気がします。