逸枝と憲三の一体化

世の中に、命懸けの恋をする人は多いけど、
生涯を掛けた恋をする人は、なかなかいません。
そんなことを考えさせられたのが、この二人、
高群逸枝と橋本憲三の、二人で一つの人生でした。

僕が高群逸枝の存在を知ったのは最近のことで、
日本の明治時代とは何だったのかを、本で学ぶうちに、
100年前の女性運動家として僕の心を捉えました。
この人のことは「火の国の女の日記」に詳しく書かれて、
女性問題に関心がある人たちには著名らしいのですが、
その功績の割には、多くは知られていない気がします。

彼女は明治期に、日本の女性が抑圧されていると感じ、
橋本憲三とは恋愛の末に結ばれて結婚したものの、
三年後には囚われの結婚生活に嫌気がさして家出をする。
それからこの二人は、様々な紆余曲折を経て和解して、
最後には憲三が逸枝を支える形で大事業を成し遂げる。
それが、大作「大日本女性史」に著された母系制であり、
さらに踏み込んだ「紹婿婚の研究」だったと思われます。

この研究の成果として、一番に上げられるのは、
日本の婚姻制度が、最初は妻請婚だったことの証明です。
実は男系の家系制度など、大化改新以降の産物に過ぎない、
そんなものは決して日本古来の文化にはなかったとする、
歴史の常識に対する、真っ向反対の母系礼賛なのです。
妻請婚→ 婿取婚→ 妻取婚と婚姻が変化していく中で、
女は次第に所有物化され、抑圧されていくのです。

逸枝という人は、若くしてこの歴史的抑圧に気付き、
その後の生涯を掛けて研究を重ね、成果を発表しますが、
それを可能にしたのは、夫である憲三の理解と愛情だった。
実は日本には、古来から女性を神と奉る文化があって、
それが西からの伝来文化で、合理的統治が始まると、
次第に女性は従属を求められ、統治しやすい地位になる。

政府が国民を総動員して、戦争に突き進んだ時代の中で、
憲三はあらゆる手を尽くして彼女を守り、助けていく。
逸枝と憲三はそうして歴史に翻弄されながらも、
やがて逸枝の理想であった二人で一つになる恋愛へ、
互いに生涯を掛けて突き進んだと思われるのです。

高群逸枝が残した偉業は、いずれ大きな意味が認めら、
日本史感にもさらなる影響を与えていくでしょう。
僕はそれを受け止めて守りきった橋本憲三という人に、
深い愛情の何たるかを教えられた気がするのです。


今回参考にした「高群逸枝」は(↓)こちらから。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J8YIYC?ie=UTF8&tag=isobehon-22