百年後は地球市民

百年後の世界を考えるために、百年前のことを調べていたら、
その百年前の社会は、さらに前の百年間に作られたとわかる。
そして二百年前から百年前に掛けて何が起きたかを要約すれば、
我々の祖先は、幕藩体制の臣民だったのが法治国家の国民になった。
実は徳川慶喜大政奉還のとき、もしも特定の藩閥が実権を握れば、
間違いなく全国を巻き込んで、大きな権力闘争が起きたでしょう。
それを予期した政府の要人たちは、誰も否定しない天皇制を押し立てて、
立憲君主制という仕組みを作り上げることで、名目上の敗者を無くした。
この仕掛けが功を奏して、どんな権力闘争も国家を重んじたと言える。

その後は、この枠組みの中でさまざまな試みや権力闘争があり、
国家に対する忠誠は、ときには多くの人々を苦しめもしたけれど、
天皇の下で平等という感覚が、国民国家の枠を作って揺るがなかった。
さらに実は、太平洋戦争の前であれ後であれ、この感覚は続いている。
世界中の国々で、国家が人々の生活を左右する最大の要因であり、
国民の利益を代表する国権の発動によっては、国民は死にもする。
これを当たり前のこととして受け入れているから戦争は無くならない。
それは幕藩体制の頃に、我が藩のお家のために死ぬ人がいたのと同じで、
憲法でいくら国権の発動を禁止しても、それに代わる物が無いのです。
幕藩体制に対して登場した国家体制のような、新体制が示せないのです。

ところが、それではこうした新体制が無いのかと言えば、実はある。
この百年の間にも、国際連盟国際連合などの登場はありましたが、
それはまだ、国家が基本単位だとする国権を全面的に認めているので、
国家体制に変わる新しいものが提示されているとは言えません。
だけどここに、新しい概念を示す言葉が確かにあるのです。
それは、世界市民とか地球市民とか言われる言葉と概念で、
語源的にはアレクサンドロスが多種民族を征服してまとめるときに、
民族や人種に依存しない市民としての倫理観を養うために言い出した。
それが現代では、新たに国家や宗教や民族を超える概念の言葉として、
リニューアルして使われるようになったのだと考えられます。

その成り立ちはともかく、ここにはやはり大きなヒントが潜んでいます。
歴史上において、幕藩体制の臣民は→法治国家の臣民となり、
法治国家の臣民は→法治国家の国民となっていったように、
次の段階である「国民」が→「市民」として暮らせる社会を考えます。
なにしろ「臣民」が→「国民」になるのに百年以上掛かっているので、
国民が市民に変わるにも、長い年月が必要なことは確かでしょう。
それでも現代では、情報革命によるネットワークがあるのです。
新しい人間像さえ提示できれば、かってない早さで進むかも知れない。
その兆しは、意外と近いところにあることも確かなのです。
それは一般には、地縁社会に対する市民社会と言われるものです。

地縁社会というのは、自治体のように選択できない組織で、
何をするかは長い歴史の中で決まっていて、変えることは難しい。
そのぶん安定していて、安心感があるという人もいますが、
生活様式が多様化している現代では、実情に合わないことも増えている。
そこで、地縁を超えて様々な価値観を持つ人が集まって始めるのが、
現代において活発になっているNPOなどの市民活動だと言えるでしょう。
そして未来の市民活動は、この延長上にあると考えられるのです。
すなわち、必ずしも隣近所の噂や評判を気にして暮らさなくても、
もっと広い範囲で、様々な価値観での繋がりを深めることで、
自分が暮らしやすい生活を選択的に生きていける社会を目指すのです。

どうですか、こう考えれば、未来の市民社会もイメージできるでしょう。
まだ幕藩体制法治国家に変わったような、新しい体制は出ていないけど、
将来の我々は、国民を超えて市民になるのだと考えることは出来るのです。
これが、戦争や過剰な破壊のない豊かな暮らしの第一歩かも知れません。
新しい時代は、そのように目覚めた多くの人々の生き方によって、
そう遠くない将来に、自然と生まれてくるのかも知れないのです。