淡川さんから

先日ご一緒に、放射性廃棄物地層処分シンポジウムに参加された、
富山大学教員の淡川典子さんから、メールをいただきました。
少し長いのですが、示唆に富むので、了解を得て転載しておきます。
淡川さんは、石川県志賀原発訴訟の原告のおひとりでもあり、
原子力発電や放射能に深い関心を持たれて、活動されている方です。

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イソップ 様

 「地層処分」のシンポジウムへのあなたの感想を読む機会をくださって、ありがとう存じます。重複しないように、私の文句を書くことにします。
 射水市長も市民のパネリストも、率直に原発の抱えるリスクへの疑念を表明されて、「処分」問題を通して改めて、原発自体の必要性の説明責任が推進側にあることを浮き彫りにしたことが、このシンポの唯一ほっとしたところでした。
 パネル・ディスカッションの冒頭で、市民パネラーのひとりが、地層処分についてあまり知らなくて、周囲の人に聞いてみたところ、似たようなものとわかって「安心しました」と云われたときには、会場一杯にガオーと叫び声を挙げたい気分でした。
 日本で最初の原発の運転は、1960年代の半ばで、現在55基でしょうか。スタートから40年経っているのに、後始末の手立てが整っていないのです。自分も周囲の人も、後始末のことをあまり知らないで、過ごしていられるのは、トイレのないマンションで安堵してくらしています!!ということじゃないですか。それですむはずないものを。

 「処分」が必要となるのは、原発を運転し続けてきたためです。「処分」の必要性を論じることは、同時に原発の必要性に触れることになります。実際、主催者は原発のメリットに言及し、その必要性を疑いの余地のないもののように、押し出しました。しかし、そのいずれについても、根拠は欠けています。

<その一> 原発は「発電過程で二酸化炭素を出さない」って、どういうこと?
 はっきり云えば、核分裂ではCO2は出ません。それだけのことです。原発というのは、核分裂それだけで、成り立っているわけではない。立地から、建設から、ウランの発掘・精製、燃料加工・・・最終処分まで計算の内に入れなければ、比較はできません。簡単に云えば、原発が石油(または化石燃料)の代替というのは、間違い。大量の石油があったから、原発はスタートできました。資器材の生産・輸送を考えても、大量の石油が必要なことははっきりしています。(槌田敦は、原発を石油の缶詰という。火力では石油を直接燃やすが、原発では石油を間接的に燃やすことになるから。)
 石炭火力と較べると、40分の1のCO2と聞くと、石炭火力の日本での改良は、まるでなされていないのかとしか、反応できない。詳細はまだ把握できていませんが、石炭火力撤廃のカナダ(オンタリオ州)の方針に、watch dog 組織から、石炭火力の技術革新を踏まえていないと文句が出ています。
 CO2汚染を減らそうとするなら、大量生産・大量消費の牽引車である原発をやめなければならない。原発は小回りが利かないから、余分に供給し、それに合わせる体制になる。日本が資源小国というなら、浪費構造を消していかないといけないのに、そこの見直しをする気配はないのだから、CO2を減らさなければならないというのも、まともに考えて云っていることとは受け止められないし、「発電過程で」などという云い方で、ごまかすな!と云いたい。

<その二> 原発は「その経済性も評価されています」?
 この表現をみると、ついに「安い」とは、書けなくなっていることを、痛感します。50年ほど前の導入是か非かの頃には、スケールメリットで、その内電力はただになるといった調子で、語られもしました。導入されて、電力料金が安くなったことがありますか。能登原発1号炉の裁判の一審の審理中ですから、90年代前半で、すでに法廷で「安い」とは云えなかった。通産の計算では安い、というのは、出ましたが、北電は、自社の計算を出さなかった。出せなかった。もし、他の電源より安いというデータを出したら、偽証罪になったでしょう。すでに、それぞれの電源による民間保険の保険料をみればわかることですから。
 保険の話が出たついでといってはなんですが。日本の原発のスタートのとき、原子力損害賠償の制度がつくられました。原子力の民間責任保険は国内の保険連合で引き受け機構をつくりますが、それだけではカバーできず、国際的な保険連合に再保険をします。国際機構は日本の地震を引き受けることはしませんでしたから、制度は二本建て(民間責任保険と政府と事業者の間の保障契約)になりました。
 その国会の審議の委員会に示された災害評価の損害額の一例は、3.7兆円で、当時の国家予算は1.6兆円でした。しかし、国会には、「一兆円を超える」としか出されず、国民には、それも知らされませんでした。
 委員会では、この災害評価は実績の少ないところで出されたもので、信頼性に欠けるから、この災害評価で考えることは適当ではない、原発をまずスタートさせて追い追い考えて行きましょうという具合に、落ち着けました。
 この審議は、逆立ちしています。研究炉をスタートさせるのではなく、商業炉の運転にかかわることですから、信頼できる災害評価が出なければ、審議の前提が整わないということのはずです。そうであるのに、結論を出したのですから、完全に見切り発車です。

 このようにみてくれば、市民パネラーからも出ていた、「消費者は電力の恩恵を受けていて、そのたまったごみを他におしつけることはできないから、これを迷惑施設と呼ぶのもどうか」と、消費者責任からする処分の必要性は当たり前!とされることに、待った!をかける必要があるとおもう。

 他におしつけることはできないと云うが、原発で受益のある世代だけで、処分は完了せず、その管理の資器材と労働をわれわれは未来の人々におしつけることになる。彼らに管理の労働を強制し、その資産を先取りする所業に及んでいるということだ。そこまで考えれば、これ以上核のゴミを増やさないことが、まず先決でしょう。
 後始末を真面目に考えますということなら、まず、原発を全部一旦止めて、すべてのデータを出して、どういう「処分」ができるか、それを考えましょう。その決定打がでるまで、原発は動かさないで!!

                              淡川
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放射性廃棄物の問題とは、「出るゴミは捨てなければならない問題」ではなく、
そのようなゴミを出す原発を、まず止めなくてはいけないのではないか?
という原発自体の問題であることを、あらためて認識するしかないようです。
そうした事を再確認させてくれる、貴重なシンポジウムでしたね!