恋愛と共犯

初めて恋人と呼べる関係を持ったのは、東京へ出て学生になり、
渋谷にあるNHK放送センターで、バイトをしていたときでした。
出演者フロントのかわいい女性で、同い年だったはずです。
彼女は昼のフロントを受け持つ正社員の一人として働いていて、
僕は夕方から入って夜の収録が終わるまでを受け持つアルバイト。
東京生活が慣れない僕は、いろんな事を教えてもらっていたと思う。
最初はグループで遊びに行く仲間だったのが、やがて親密になり、
放送センターの空きスタジオの中で、密かに会ったりしていました。

ラジオ用のスタジオの中って、音が反響しないからシンとしている。
ライトもつけないで、二人だけでそこに入って話をしていれば、
衣擦れどころか、触れ合う肌の微かな音まで浮き立って聞こえる。
音というものを、それほど意識したのは初めてのことだったでしょう。
まもなく彼女は、自宅近くにアパートを借りて一人暮らしを始めたので、
僕はそこへ上がり込むようになり、あるとき二人で抱き合っていたら、
アパートに彼女のお母さんがやって来て、ドアをノックしたのです。
彼女と僕はあわてて入口に脱いであった靴を隠し、さらに僕は、
押入の中に潜り込んで、じっとお母さんが帰るのを待っていました。

もしかしたら、隠れるようなことではなかったのかも知れない。
だけど結婚する気があったわけでもなければ、人に知られたくなかった。
すべてが二人だけの秘密であることに、大切な何かがあった気がします。
ただ初めてのセックスにおいてさえ、避妊を優先して考えていたのは、
はたして本当にいいことだったのかどうか、今は疑問に思っている。
それ以来、僕は慎重に妊娠と結婚を避けて恋愛をしてきたけど、
そこにはどうしても、すべてをなげうつ恋には至らない感じがある。
やがて自分の気持ちとは裏腹にセックスが出来なくなったり、
心と体のバランスを崩したのも、無関係でないように感じるのです。

いろんな人と付き合って、性的な関係もそこそこあったのですが、
なぜか本気で好きになると、うまくセックスが出来なくなっていく。
さらには10年以上の会社勤めの中で、自律神経がおかしくなって、
年の離れた若い女性を連れて、沖縄に逃避行をしたのですが、
惚れ惚れするような美しい身体と髪の女性だったにもかかわらず、
いくら勃起しても、彼女の中に入ろうとすると萎えてしまったのです。
僕は彼女と共犯者になることが出来ず、そのまま別れてしまいました。
それからしばらくして、僕は東京を引き払って富山に移住するのですが、
この頃に付き合った女性によって、僕はもう一度自分を取りもどします。

彼女との関係は、本になった「遊びをせんとや」にも書きましたが、
お互いにそれぞれのわがままが許し合える、貴重な関係だったでしょう。
仕事の勤務中に電話を掛けてきて、「愛している」と言えと求める。
僕は急いで職場の場所を外し、たしなめながら「愛しているよ」と言う。
中に入りたい気持ちはあるのに、うまくいかないんだと正直に言って、
バイアグラを使ってみようかと、二人で共犯者のように話し合いました。
この薬のおかげで、僕の何かが解放されて自由になったのは確かです。
だけど恋愛としては共犯者になれたのに、人生に求めるものは少し違った。
彼女は経済的に豊かな生活を望み、僕はむしろ自由な生活を求めたのです。

それからも僕は、いくつかの新しい恋をして性の喜びも得ています。
バイアグラなど無くても、一週間昼夜セックス三昧だったこともあるし、
愛する人がそばにいる幸せだって、知らないわけじゃないのだけど、
どちらかしか選べないとすれば、僕は自由を選んで生きるしかない男です。
自分の生き方を模索するうちに、新しい人間関係も出来てきました。
そうかと言って何かが安定したわけでもなく、来年のこともわからない。
それでも、これが人生かな、と思いながら、けっこう満足しているわけで、
またなにか、新しい共犯の楽しみを覚えないとも限らないでしょう。
これからもそんな風に、人生を生きていこうと思うのです。

「遊びをせんとや ー不良中年ノート」は(↓)こちらから。
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