「となみの土徳」と自然農

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2006年、砺波地区教養講座の締めくくりとして、
太田浩史さんの「砺波地方の精神風土~となみの土徳」がありました。
となみ民芸協会会長の太田さんは、大福寺住職でもあるので、
以前から弓道を教えていただくかたわら、土徳や柳宗悦のことは、
何かと話を聞いていたのですが、講演として聞くのは初めてでした。

まず柳男爵家に生まれた柳宗悦の生い立ちから話が始まって、
学習院志賀直哉武者小路実篤らと同級生で白樺派が始まったこと、
そこで西洋美術に触れながら、やがて韓国、日本の生活道具の美に惹かれる。
日本の無名人が作った雑器(下手物)に民衆的工芸の「美」があるとして、
これを「民芸」と名付け、倉敷の大原財閥の力を得て東京に民芸館を開く。

この民芸館に収蔵する作品を求めているときに、京都で棟方志功と出会う。
棟方は河井寛次郎のもとで仏教を学んだのち東京に出てくるが芽が出ない。
ところが福光へ行くやいなや、すぐに才能を開花させ始める。
棟方は、この地にはすぐれた仏教の教えが宿っていると感じる。
やがて終戦と共に柳宗悦がこの地にやってきて、赤尾道宗の名を聞く。

この赤尾道宗の名は、鈴木大拙が「日本的霊性」に書いている、
大乗の教えを生活として伝える妙好人の、代表とされたものだったのです。
僧侶としては、親鸞蓮如と言った浄土真宗の高名な人はいますが、
その教えを実生活の中に活かして、代々伝える礎を築いたのが妙好人であり、
そうした歴史風土とそれを育む自然風土が繋がって「土徳」が生まれた!

太田さんの話しぶりも楽しく、わかりやすくて良かったのですが、
僕が砺波に戻って、さてどう生きるかと考えたときに出会った自然農は、
たんなる農法を伝えるものではなく、「生き方としての自然農」でした。
自然と向き合い、自然と対立せずに全部を味わって生きようとするのは、
考えてみれば、真宗の教えとまったく同じものなのかもしれなかったのです。

僕はまみあなで自然農を始めるにあたって、その将来像を考えたとき、
自然農は家族的なものが中心になるだろうから、自分が中心にはなれない。
そのぶん他の人たちを助けることによって、自分の楽しみにしようと思った。
大切なのは個々人の生き方であり、それを助け合うのが家族などの共同体です。
自然農とは、土と共に家族的な生き方をする、そこに神髄があると思うのです。