「皮膚感覚の不思議」

今年の10月20日に出版されたばかりで、
図書館にもなさそうだから自分で買いました。
ブルーバックス版で、値段も安かったですしね。
ちょうど関心を持っていた触覚に関する考察本です。
著者の山口創さんに「愛撫・人の心に触れる力」
なんて題の本があることも、僕の関心に繋がります。

読み始めて最初のところは、少々退屈でした。
皮膚細胞や神経組織の専門用語が出てきたりして、
なんだか実感に乏しい表現がずっと続いたのです。
それが中程の「痒み」「くすぐったさ」あたりから、
科学的によくわからない話が面白くなってくる。(^_^;))
そして触覚による快不快の不思議に至って、
様々な謎の核心に触れてくるのです。

そう、ここでも「核心に触れる」なんて言い方をしましたが、
日本文化では、視覚による情報よりも触覚による情報が重要で、
視覚情報が中心になったのは、西欧化した現代の特徴です。
たしかに、日本人の繊細な感覚や匠が見せる精巧な技は、
手指の触覚による緻密な感覚を抜きにしては理解できない。
この触覚こそ、日本文化の優れた特性だとも言えるのです。
ところが現代の子どもたちには、この皮膚感覚が薄れている。

不幸なことに、今の子どもたちは兄弟も遊び相手も少なくて、
さらには親との肌による触れあいも少なくなっているために、
触覚の未成熟から、情緒が不安定になる傾向が強いのです。
人間の皮膚は、他の動物と比べものにならない精密な感覚を持ち、
赤ん坊の時から、ほとんどの感覚や感情を皮膚を通して学習する。
そもそも人間の皮膚は、脳の一部とさえ言える情報を持つのです。
特に日本人は、文化的にもこの皮膚感覚を大切に育ててきました。

日本文化のほとんどあらゆるものは、微妙な皮膚感覚で作られ、
それを味わうのも視覚よりも皮膚感覚であることが多いのです。
例えば家にしても着物にしても、生活道具にしても食品にしても、
手触りや肌触り舌触りといった触れる感触で味わうものが多く、
お風呂や四季の味わいさえ、見るよりも肌で感じるものなのです。
親子や男女の家族感覚も、この触覚によるものが大きくて、
ここに大きな安らぎや信頼関係を持っていたと思われます。

そうしてみると、現代はいかに皮膚感覚を疎かにしているか。
狭い家で否応なく親兄弟と触れあいながら育つた子どもは、
そうした肌の触れあいの中で、自然に愛情豊かに成長する。
ところが、親兄弟との肌の触れあいがないままに育てられると、
情緒不安定で、傷つきやすく、人とうまくやれない子が育つ。
明治の頃の日本人の写真と現代人の顔をを見比べると、
現代人がいかに視覚的になってしまったかが見て取れるのです。