テレビと教育

昨日の夜は興味深いテレビ番組が目白押しでした。
「たけしの平成教育委員会」は最後しか見られませんでしたが、
久しぶりに見た久米さんが気になる発言をしていたので、
どうしても一言だけ書かせていただきます。

久米さんは筑紫さんなどに比べるといかにも庶民的で、
信念を持ったテンポの良い語り口もとても好きでした。
けれど昨夜の発言で、テレビはその国の国民を表現している、
良くも悪くも国民の意識を反映しているから、
低俗になるのも品が無くなるのも仕方がないと発言されていた。
今のテレビ番組の実情は確かにそうだとしても、
それは、僕は間違っていると思います。

テレビ番組は、なるほど人間が作るものですが、
作られた番組は、また人間をその方向へと作っていくものです。
だからこそ、テレビ局には公共性を持たせているのであり、
現状よりも一歩理想に近付く姿を見せる必要があるのです。
その理想は様々ですから、政府に指導される必要もなく、
各テレビ局が自らの判断で理想を探すのはいいことでしょう。
それを忘れて、大衆迎合してしまってはいけません。

むかし僕が好きだった谷崎潤一郎って小説家は、
何かの作法の文章の中で、オブラート一枚って書いていました。
小説は現実を写して書くものではあるけれど、その上で、
作者が「こうあれ」と思う方向へオブラート一枚被せて書く。
そのオブラートこそが作家の命であるといったようなことでした。
僕はテレビ番組も同じ事で、このオブラートがなければ、
よってたかって公共性を守ろうとする意味も失せるでしょう。